もし11年前と今とで何も変わっていないとしたら、11年間成長していないことになる。その停滞のほうが、人としてヤバい。

 一応言っておくと、キャンセルカルチャーを全否定する気はない。明らかな犯罪行為や、倫理的にとても看過できない言動は、どれだけ過去であっても遡って糾弾すべきだし、償うべきだと思う。

 しかし、38歳の人間が26歳のとき口にした「女性が社会運動すればするほど女性が不自由になっていく」といった程度の発言が、今あらためて掘り起こされて批判され、かつ“謝罪”を余儀なくされる社会は、あまり健全ではないと思う。発言者が著名人であるかどうかは関係ない。自分にその矛先が向けられたらと想像すると、生きた心地がしない。

過度な一貫性は時に社会的害悪となる

 成熟や成長をいったん脇に置いたとしても、人の主義主張というものは身を置いている環境によって変わるし、変えざるをえない。

 社会人になる前と後。結婚する前と後。子供ができる前と後。親の介護をする前と後。体を壊して失職する前と後。それぞれの前後で、同じ主義主張でいられるはずがない。むしろ主義主張を「更新」することで、変化した環境に適応する。そのしなやかさと柔軟性は、人間が持つ素晴らしい能力の一つだ。

 政治も同じだ。取るべき政策は、社会の変化に呼応して変わるし、変えざるをえない。高市政権を手放しで称賛するつもりも、擁護するつもりもないし、なぜ考えを変えたのかの説明がないのは明らかに落ち度だと思う。しかし、それでも一般論として「社会問題の最適解は、常に変化する」ことだけは確かだろう。

 無論、考えが終始一貫していて一切ブレないという態度にも、確固たる価値がある。だが、限度もある。

 環境変化に適応すべく主義主張を柔軟に変えることが求められているにもかかわらず、「一貫性」の名のもとに主義主張の更新を徹底的に拒む態度は、「クレジットカード番号を打ち込みたくないからネット通販など使わん!」とか「操作がよくわからないからスマホなど使わん!」といった類いの頑(かたく)なさと、大差ない。ただただ世間から「時代をキャッチアップできていない人」と見なされるだけだ。

 この頑なさが、個人の信条の範囲で収まるなら問題ない。が、集団の中で振りかざされると厄介だ。「ワシはChatGPTなど使いたくないし、お前らも使うな。自力でやれ、自力で!」。端的に、迷惑な上司である。

 ここで、アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉を紹介しておこう。

「愚かな一貫性は、狭い心が生みだしたお化けである(A foolish consistency is the hobgoblin of little minds)」