やらかしてしまった私に、北の湖さんは笑いながら、「ダメですよ。ヨカタじゃないんだから、そんな取り方しちゃ」。いえ、私はヨカタです。ちなみに、すでに書いたが、「ヨカタ」とは一般人という意味の相撲隠語だ。

 力士たちは、どうしているのか。

 鍋から麺を少し持ち上げたら、すぐに手元の器に入れる。そして、麺を鍋肌に沿わせて器に引っ張り込むように、うどんを入れる。これなら、汁が飛ばない――。という角界の作法を北の湖さんから教わった。

 これを知っていると、力士や親方衆と鍋を囲む時に「どこで教わったの?」と喜ばれる。役に立つ知識かどうかはわからないが……。

いまいちな鍋の味を激変させた
北の湖の料理の腕前

 ところで、鍋に最も合う野菜は、何か。

 焼肉のたれで知られる食品メーカー「モランボン」が、2014年に鍋つゆ開発の参考に好きな鍋野菜についてのアンケートを取ったことがある。

 同社によると、ダントツが白菜で、アンケート総数の過半数を占めた。2位以下はネギ・長ネギ(9パーセント)、ジャガイモ(6パーセント)、キノコ類(同)、大根(4パーセント)と続く。

 圧倒的に支持された白菜だが、相撲部屋ではキャベツだ。どこの部屋も、鍋といえばキャベツ。北の湖さんも「うちはキャベツだよ」と言っていた。白菜に比べて1玉あたりが安価なことや味の良さ、煮込んでも煮崩れないことなどが支持されているらしい。

 北の湖さんとの鍋というと、こんな思い出がある。

 国技館の地下には食堂がある。そこで一緒に鍋をつついた時のこと。味に不満があったらしい。「ちょっと待ってて」と言うと、北の湖さんは熱燗を2本鍋に注ぎ、しょうゆを足し、厨房から持って来させた砂糖も入れただろうか。汁を小皿にすくい、「どう?」。

 段違いの味の奥行きに、「うまいですねえ」と思わず声を裏返すと、「でしょ?」とうれしそうに笑い、「食べて、食べて」。そして、わざと敬語で、ぼそりと……。

「自分は下積みが長かったもんですから」

 あの時は汁を吹きそうになった。一応記しておくと、21歳2カ月の横綱昇進はあの貴乃花も及ばぬ史上最年少記録として、いまも燦然と輝き続けている。

 切れ長の目から放つ、鋭い眼光。現役時代から、チラリとどこかを見ただけで、「にらまれた」と勘違いされた北の湖さん。だが、おかみさんのいない地方場所ではテレビをつけっぱなしにしないと夜も眠れない寂しがり屋で、冗談ばかり言う人だった。