日本にも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という詠み人知らずの格言が存在するが、そのように謙譲の心が『老子』では水の属性と見なされ、人はそのようにあろうとすることで、道(真理)に近づくことができる、と説かれているわけだ。この教えを汲んでであろうけれども、『菜根譚』にもつぎのような一節がある。

 山が高く険しい場所には草木は生えないが、しかし谷川のめぐる低い所には、草木がむらがり生えている。水の流れの激しい場所には魚類は住みつかないが、しかし水のよどむ深みには、魚類が多く集まっている。これを見ても、孤高の行ないや、度量の狭い性急な気持は、君子として深く戒めておくがよい。
(洪自誠『菜根譚』、今井宇三郎(訳注)岩波書店、1975年:P204)

 私たちは、まさしく水からこそ多くを学ぶことができる。

「距離感」という言葉を
哲学はどう捉えている?

 他者との関係づくりに関して、現代の日本ではしばしば「距離感」という言葉が使われる。たとえば「他者との距離感がおかしい」とか「顧客には適切な距離感を持って接する必要がある」などと語られている。

 この距離感に関する哲学で、もっとも参考になる西洋哲学の知恵は、じぶんの所轄とその範囲外のものを弁別する、というものだろう。古代ギリシアのストア派の哲学者エピクテトス(50年頃~135年頃)は、つぎのように語ったという。

 物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、あるものはわれわれの力の及ばないものである。「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、われわれの働きによらないものは、われわれの力の及ばないものである。
(エピクテトス『人生談義』下巻、國方栄二(訳)、岩波書店、2021年:P360)

「肉体」がじぶんの所轄ではなく、その対象外のものだとされるのは、肉体には精神による支配を超えた面があるからだ。