未来および過去は
どうでもいいこと

 たとえば私たちは、どれだけ注意をしても病気にかかってしまったり、長生きしようとしても早くに亡くなってしまったりする。現代でもそうだが、古代社会ではなおさら体の問題は思いどおりになりにくかっただろう。

 このエピクテトスの思想に影響を受けた代表的な哲学者が、マルクス・アウレーリウスだ。彼は『自省録』で、「すべて君の哀れな肉体と小さな息の及ぶところにあるものは、君のものでもなければ君の自由になるものでもないのをおぼえていること」(マルクス・アウレーリウス『自省録』改版、神谷美恵子(訳)、岩波書店、2007年:P90-P91)と注意を促している。

 そして、このように精神による管轄が及ぶ範囲を適切に治めるという発想からも、過去や未来に対する関心を切りすて、「いま・ここ」に集中するという例の思想が補強される。マルクス・アウレーリウスの立論を聞いてみよう。

 私は小さな肉体と魂から成っている。肉体にとってはすべてのことはどうでもいいことである。なぜなら肉体はものごとを気にかけることができないからである。精神にとっては、すべてその活動に属さないことはどうでもいいことであるが、すべてその活動に属することはその勢力範囲にある。ただしその中でもただ現在に関することのみ問題になる。というのは未来および過去の活動は現在やはりどうでもいいことなのである。
(同: P105)

 私たちは肉体ではなく魂に、そして過去や未来でなく現在に注意を傾けなければならない。とはいえ、ここにはハイネやニーチェが批判した西洋思想に見られる肉体の軽視という伝統的問題が関わってくるかもしれない。

平静、勇気、知恵
小さな教会での祈り

 20世紀の世界で、エピクテトスやマルクス・アウレーリウスの思想を継いだ人と言えば、まずはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892年~1971年)を挙げなければならない。

 彼が1943年に小さな教会で口にした神への祈りは、「静穏の祈り」あるいは「ニーバーの祈り」と呼ばれて、「12ステップ系」などと呼ばれる依存症の自助グループで重要な指針となっている。それらの自助グループでは、回復の歩みを12段階に分けて説明していることなどと並んで、スピリチュアルな仕掛けを用いることにも特徴がある。

神よ、
変えることのできないものを受け入れる平静を、
変えるべきものを変える勇気を、そして
変えることのできないものと変えることのできるものとを識別する知恵を、
われらに与えたまえ。
(ラインホルド・ニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』、千葉眞(訳)、岩波書店、2024年:P470)

 ここで唱えられる「変えるべきもの」は、おおむね自己や未来に関する事柄と、他方で「変えることのできないもの」は、おおむね他者や過去に関する事柄と見なされる。したがって、この祈りはきわめて宗教的なものでありながら、過去や他者を変えたかったら、まずは自己を変えることでそれを達成して、輝かしい未来を開きなさい、と勧める大半の自己啓発系の発想と通底している。