「移動手段」と「感動を与える」の決定的な違い

 訓練生が語る移動手段という認識は、世間の一般的な感覚を代弁しているように見える。対して、豊田章男氏は明確に否定した。車はただの機械ではなく、人の心を揺さぶる存在でなければならないと説いたのである。

 移動手段という合理的な機能と、感動を与えたいという情熱。両者の間には、製品の価値に対する決定的な認識の違いが存在する。

 1998年の論文『Welcome to the Experience Economy』(B. Joseph Pine II、James H. Gilmore)は、現代のマーケティング戦略や顧客体験の土台を築いた記念碑的な研究として広く知られている。全世界のビジネスリーダーに多大な影響を与え続けている非常に著名な論文であり、次のように述べている。

《経験とは、企業が意図的にサービスを舞台とし、商品を小道具として用い、個々の顧客を魅了して記憶に残る出来事を作り出すときに生じるものである。商品は交換可能、財は有形、サービスは無形、そして経験は記憶に残るものである》

 前述の訓練生の言う移動手段は、まさにこの無形の「サービス」や有形の「財」としての機能に当てはまる。エンジンが止まらず目的地に無事着くだけでは、単なるサービスの提供に過ぎず特別な感動は生まれない。期待通りに動いて当然だからである。

 対して、豊田氏が求める楽しいクルマは、記憶に残る「経験」である。なくてもクルマとしては成立するが、備わっていることで人々の心を満たし、喜びをもたらす。オープンカーの風やジープの高い視点も、まさに経験がもたらす喜びである。

 ここで重要な視点がある。技術革新の果たす役割である。提供される価値は、決して固定されたものではない。かつては画期的で感動を与えた新しい技術も、時間と共に世の中に普及すれば、あって当然の機能(財やサービス)へと変化していく。

 エアコン、パワーステアリング、カーナビゲーション――。過去には高級車にしか付いていなかった新しい機能は、現在では軽自動車にも標準で装備されている。付いていなければ激しい不満の対象となる。

 純粋な機能を追求し、効率化を進めることを否定すれば人間の進歩は止まってしまう。技術者たちが血のにじむような努力で機能を高め、新しい技術を実用化してきたからこそ、機能の基準は絶えず引き上げられ社会は豊かになってきた。技術革新による機能の追求は、未来を切り拓く絶対的な原動力である。

 では、機能の追求が極まりつつある現代において、新たな経験の価値はどこに向かうのか。