森七菜さん主演の映画『炎上』が、公開から連日満席で話題だ。歌舞伎町・トー横に集う若者を描いた本作で監督・脚本を務めるのは、サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本人初のグランプリを受賞した長久允氏。
その思考法を存分に伝える『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』から、抜粋・再構成し、作品づくりの根幹に迫る。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室Photo: Adobe Stock

「音楽」で化学反応を起こす

 その作品を心に残す最も重要なものは「音」だと思っています。

 音の中でも特に「音楽」

 だから私は描くべき題材を決めたらまず、音楽を探します。

 その映画は、どんな音が鳴っているのか。パンクかジャズかエレクトロニカか、それともインドネシアのガムランか。ピアノかオーケストラかノイズか、それともまだ見ぬ楽器の音か。

 たとえばSFだからといってエレクトロニカが適しているとは限らないし、時代劇だから古い和楽器が合うとは限らない。

 むしろ、関連性のないものとの化学反応で、物語は強く印象づけられることが多い。

 だから私は、題材が決まったら、まずサブスクで曲を聴き漁ったり、YouTubeを見たり、ライブに行ったりします。すると突然、これだ! という音楽に出会うのです。

言葉よりも伝わるものがある

 さらに言うと、私はエンドロールが異常に好きなのです。エンドロールの歌詞はとても大事なのです。

 その映画を観たときに、どういう気持ちで席をあとにしてほしいのか、それはラストカット、もしくはエンドロールによるものが大きいと感じています。

 エンドロールは映画の伝えたい感覚が凝縮されています(もちろんタイアップ曲の場合は全然そんなことないと思いますが)。

 その映画で伝えたいことが、仮に「生きろ」ということならば、それはセリフで伝えることもできるけれど、歌詞ならばもっとまっすぐに自然に伝えることができると考えます。

 さらにその言葉が持つ加減の調整も音楽ならばできる。もっと曖昧で繊細なものが届けられます。

 深刻なのか、軽薄なのか、超ポジティブな生きろなのか、諦念もこもった生きろなのか、言葉や演技だけでは伝えることが難しいニュアンスを、コードや音質をもって、聴いた人に自然と残すことができます。衝動に似た形で。

エンドロールに一番のメッセージを込めて

 もちろんこれらは映画を通して届けたいものですが、それに近いものがエンドロールの5分間で凝縮して達成できるのです。

 ここで書かれた歌詞こそが、私がこの映画を使って自分が残したい、観客に手渡したい言葉たちなのです。

 だから私は、まず歌詞を書きます。

 2019年公開の長編映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES』でも、まずエンディング曲『ZOMBIES BUT ALIVE』の歌詞を書きました。

 この映画は、両親を亡くした4人の少年少女が、いろいろと絶望的な経験をしたけれど、最後にはある種の適当さを獲得して「ただ生きればいいじゃんか」に辿り着く物語です。

 親の葬式で泣かなかった彼らは「感情がないから、ゾンビなんじゃない?」と周りの大人たちに軽蔑されました。

 しかしゾンビにも感情はあるかもしれないし、ユーモアがあるかもしれないし、それは他人にはわからないことだよね、と彼らは気づきます。そして、そもそも私たちは泣かなかっただけで感情あるし、と。

 私は大人たちよりもよっぽど、架空の死んだ存在であるゾンビさえ下に見ない彼らを素晴らしいと思うのです。

 そして、彼らがゾンビだったとしても、絶望せずに、ただただ長く生きて(歩き続けて)ほしい。そのような思いを込めて映画を作りました。

 それはつまり、この映画を観た今絶望的な環境にある子どもたちへのエールでした。
 この映画の凝縮版が、このエンディング曲なのです。