第二次世界大戦後、ナチスが「優生学」の名のもとにユダヤ人、ロマ、精神障害者などを「遺伝的に劣った」と決めつけ、強制収容所で“絶滅”させたり、安楽死させたりしていたことがわかると、欧米社会をとてつもない衝撃を襲った。二度とこのようなことを起こしてはならないと誓ったひとたちが思いついたもっとも有効な方法は、人間や社会に対する遺伝の影響を全否定することだった。
こうして、遺伝は肌の色など外見には影響するが、知能や性格、精神疾患など“内面”にはいっさい影響を与えないとされ、このポリティカルコレクトネスのコードに反した主張をする者は、「ナチ」「優生学」「遺伝決定論」などのレッテルを貼られ、社会的に葬られていった。
そんな逆風のなか、ふたごや養子研究を積み重ねることで、遺伝と環境の関係を解明しようとしてきたのが行動遺伝学で、ロバート・プロミンの『こころは遺伝する DNAはいかに〈わたし〉を形づくるか』(田中文訳、安藤寿康解説/河出書房新社)はその集大成だ。
プロミンは行動遺伝学を牽引してきた一人で、『こころは遺伝する』は、これまでの知見の数々と、これから起こるだろう「DNA革命」について、一般向けに平易に書いたきわめて興味深い本だ。最大の特徴は、“不愉快な事実”がいっさいの忖度なしに(ある意味、無神経に)記されていることで、読者はこれまでの(きれいごとの)常識が徹底的に覆される体験をするだろう。
SkDmitry / PIXTA(ピクスタ)
原題は“Blueprint; How DNA Makes Us Who We Are(ブループリント DNAはどのように「自分らしさ」をつくるのか)”で、原書が発売された2018年当時は、(内容はともかく)DNAを「設計図(ブループリント)」とするのは誤解を招くとの批判がかなりあった。
だが「ペーパーバック版あとがき」によると、これは出版社から提案されたもので、プロミンが最初考えていたタイトルは“DNA Matters; The Essence of Human Individuality(DNAは重要だ 人間の個性の本質)”だという。たしかにこれでは、あまり売れそうもない。
“Blueprint”という刺激的なタイトル案をプロミンはいったん拒絶したが、その後、ブループリントを「設計図」ではなく、その本来の意味である19世紀の日光写真時代の印画紙だと考えれば、自分の主張をよく表わしていると考えるようになる。プロミンは一貫して、「わたしたちは成長とともに<遺伝的な自分>になっていく」と論じているのだから。
本書は第1部「なぜDNAが重要なのか」と第2部「DNA革命」に分かれており、第2部では、GWAS(ゲノムワイド関連解析:Genome-Wide Association Study)によって数万人、あるは数十万人のゲノム全体を調べ、そのビッグデータを解析することで、統計的に未来を予測する(プロミンは「DNA占い」と呼ぶ)驚くべきテクノロジーが説明されるが、それは本を読んでいただくとして、ここでは行動遺伝学がこれまでなにを発見してきたのかをまとめてみたい。「遺伝が半分、環境が半分」と思っているひとは、それがいかに時代遅れの知識かわかるだろう。
「人生のほとんどすべてに遺伝の影響がある」
行動遺伝学の第一原則は、「ヒトのすべての行動特性は遺伝の影響を受ける」で、これが「遺伝の普遍性」だが、「遺伝の影響は一般に思われているよりも大きい」ということではない。その意味するところは、「人生のほとんどすべてに遺伝の影響がある」だ。
プロミンは1990年代後半に、ストレスフルなライフイベントへの遺伝の影響を調べた。離婚は客観的な出来事で、遺伝が関係するなどあり得ないと思われていたが、1500組の成人のふたごを調べたところ、一卵性の離婚の一致率は二卵性よりはるかに高く(二卵性が16%なのに対し一卵性は55%)、離婚への遺伝的影響が示された。
アメリカの新聞USA Todayはこの研究を「愚かさの見本」と揶揄(やゆ)したが、その後の研究によって、離婚への遺伝的影響の3分の1は特定のパーソナリティによって説明できることがわかった。離婚しやすい性格とは(意外にも)、明るく、人生を楽しみ、感情豊かで衝動的なタイプだった。
これは社会的にはポジティブと見なされる性格で、恋愛の相手としても好ましいだろう。だが、結婚という制度とは相性があまりよくないようだ。
「両親が離婚していると、子どもが離婚する割合が高くなる」とむかしからよくいわれていた。シングルマザーで母親の愛情が足りなかったり、両親が仲良く暮らすのを体験できなかったりするからだとされていたが、スウェーデンで行なわれた2万人の子どもを対象とした大規模な養子研究で、この俗説になんの根拠もないことが示された。いちども一緒に暮らしたことのない生みの母親が離婚した場合のほうが、育ての母親が離婚した場合よりも、子どもが離婚する割合が高かったのだ。
この研究では離婚の遺伝率はおよそ40%で、(100%ではないのだから)たしかに環境の影響はあるものの、遺伝的影響を統制したあとには、離婚の予測指標となる環境要因はひとつも特定されなかった。遺伝以外の要因はランダムな出来事(たまたま出会った相手と相性が悪かった、など)で、仲むつまじい両親に育てられたか、ひとり親世帯で育ったかという家庭環境は、子どもが将来、離婚するかしないかになんの影響も与えていなかったのだ。
これを読んで「離婚についてはたしかにそうかもしれない」と思ったかもしれないが、この理解も間違っている。行動遺伝学の研究は、「家庭内が混乱しているなどの家庭環境、支えてくれる教師がいるなどの教室環境、いじめを受けているといった仲間関係、近所の安全性、ドラッグの入手のしやすさ、結婚生活の質」などにも遺伝の影響があることを明らかにしており、このリストはこれからどんどん増えていくだろう。
もちろん、親戚や友人の死や病気など、自分ではほとんどコントロールできない出来事の遺伝率はほぼゼロだ。しかしそれでも、こうしたトラブルに対する反応、つまり心理的な経験は遺伝的傾向の影響を受ける。遺伝はわたしたちの人生すべてに長い影を落としているのだ(詳細については日本の行動遺伝学の第一人者・安藤寿康氏との対談『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』〈NHK出版新書〉を読まれたい)。







