日本が取り入れたのは
インド仏教ではなく中国仏教

 いかに日本人が仏教の摂取に積極的であったかは、多くの僧侶が中国にわたって、仏教について学んだことに示されている。

 最初に中国の唐で学んだ僧侶が道昭である。道昭は奈良時代はじめの僧侶で、遣唐使船で唐にわたった。道昭について特筆されるのは、都の長安で、玄奘三蔵に師事したことである。玄奘三蔵は、孫悟空が活躍する『西遊記』という物語に登場する三蔵法師のモデルとされる。しかも道昭は、その玄奘三蔵に可愛がられたようなのだ。

 それ以降、多くの僧侶が中国にわたっていった。仏教は、もともとインドに生まれたもので、「天竺」と呼ばれたインドが本場になる。そのインドに行こうとした日本人僧侶はいても、実際にそこに到達できた者はいない。インドは日本にとってはるかに遠い国だったのである。

 そのため、日本人僧侶はもっぱら中国で仏教について学ぶことになった。その点では、日本人にとっての仏教の本場は、実質的に中国であった。したがって、日本仏教は、中国仏教の影響下に発展をとげていく。

 ここで着目しなければならないのは、仏教が誕生したとされる時点から、中国にそれが伝えられるまで500年ほどの時間が経過していたことである。その間に、仏教の信仰は進化を遂げていき、多様性も獲得していた。

 とくにここが重要なことになるが、大乗仏教(編集部注/紀元前後にインドで興起した新しい形態の仏教。日本の仏教は全て大乗仏教とされる)へと発展していくことで、高度な仏教哲学が形成されていた。

中国仏教は日本仏教に変化し
やがて神道と融合していった

 釈迦の時代の仏教は、かなり素朴なものであったと考えられる。それは、「原始仏典」と呼ばれる段階の仏典を繙いてみれば明らかになる。

 大乗仏教がいつからはじまるかについては様々な議論があり、現在では、研究が進んだ結果、かえってそれを特定するのが難しくなっているのだが、原始仏典で説かれたものに比較して、はるかに高度な内容を備えるようになったことは間違いない。