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ブッダの死から700年――仏教が超複雑化する中、学者たちの200巻にも及ぶ論争をたったの1文字で論破したインド人がいた。そんな“インドのひろゆき”「龍樹」の波乱万丈な人生と、仏教史に大きな影響を与えた思想「空」について深掘りする。※本稿は、しんめいP(著)、鎌田東二(監修)『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)の一部を抜粋・編集したものです。

常に変わり続ける世界で
「不変な自分」を作るから苦しい

 身体も心も、宇宙規模のつながりのなかで、たまたまいまこうなっているだけ。息を吐くたびに、身体の一部をおっさんと交換してる。飯をたべるたびに、地球と身体がいれかわってる。

 心も、天気とか、宇宙の影響をうけてつねに変化してる。

 ブッダは、瞑想して、だれよりも「観察」した。その上で、「これが自分だ」といえるようなものは、ひとつもない。と結論づけたのだ。

 なにもかもが、無限にいれかわり続けている。「自分」も例外ではない。これが、「無我」なのだ。

 そして、ブッダはこの「無我」の哲学から、ぼくらの人生が苦しい原因を、完全解明してしまったのだ。

 人生の苦しみの、根本的な原因。知りたくない?

 苦しみの原因、それは、「自分」なのだ(!)。

 すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。そんなことしたら、苦しいにきまってるやん。

 ひとつたとえ話。小学生の頃、家の近くに、小さな川があり、よく遊んでた。あるとき、世にもおそろしい悪事をひらめいた。川には大きな石がゴロゴロしている。