「実家の父親が倒れ、家業を継ぐために急遽、静岡に帰らなければならなくなった。そのとき『(細木が私に)付いていく』という話になった。(離婚の原因は細木が)『にぎやかなところがいい。東京に帰りたい、帰りたい』と言っていて。それじゃあということで帰した。分かるでしょ。しょせん無理だったんだよ。田舎には合わなかった。
ただ(私と細木とが)喧嘩したわけではない。(細木がH家を飛び出したのは)すぐだった。それ以来、口を利いたこともない。(自分はその後、細木に)連絡していないし、(細木から)電話があったことも、手紙が来たこともない。(細木が出て行って)すぐ荷物を送った。(離婚届を出すときも細木には)会っていない。出て行ってから一度も会っていない。(細木とは)まったく揉めていない。すぐ出て行って、それだけですよ」
驚くほどあっけらかんとした、人間味に乏しい離婚である。細木はこの結婚―離婚騒ぎで男より商売を選ぶ自身の性向を自覚したにちがいない。当時の細木に女としての魅力があったとしても、それは商売の武器としての色香だった。
離婚後に細木が開いたバーには
“不穏な噂”が流れていた
婚家を飛び出し、銀座に舞い戻った細木はベビー用品店を売り払い、前出の建設会社社長や銀行からもカネを借りて、銀座8丁目、並木通りにバー『だりあ』をオープンした。
『だりあ』については当時を記憶する常連の客がいる。
「銀座のホステスの間で広まっていた噂は、店からの借金が返せないようだと『だりあ』に売られる。『だりあ』でホステスするか、ホステスしても返済が追い付かなければ、さらに売春要員として転売されるって話でした」
バー『だりあ』には売春要員としての人身売買という不穏な噂が流れていた。自店のホステスを売春OKの特攻隊として抱える商法は「堂々たる銀座のママ」に値する行為なのかどうか――。
1969(昭和44)年ごろ、バー『だりあ』に勤めたことがある一女性が次のように証言する。







