最初は大きな手使いが、次第にこまやかになってゆく。そうこうしているうちに大将の手の中で、白く美しいものが姿を現す。
うわーすごい。
初めて見たときは「よく握れるもんだ」と驚いた。
僕が注目したのは、素手で握るという行為そのものだ。というのも、炊き立てごはんの熱さは半端ない。100度まではいかないとしても、95度前後にはなるだろうか。
それを素手で握るなんて、料理人の僕でもそうそうない。
驚きを通り越して、ちょっぴり穿った気持ちが湧いてきた。
本当に熱くないのかな(痩せ我慢してんじゃないの?)。
手の皮が厚いだけなんじゃないのか(いや、きっとそうなんだろう)。
「炊き立てごはんを素手で握る」なんて修業をしたのだろうか(そんなのは前代未聞だけれど)。
あれこれ考えているうちに、僕は大将の素手から目が離せなくなっていた。自分が店に立つときは、カウンター越しに手元を見られることにいまだに慣れなくて「お願いだから、あんまり見ないでくれ」なんて思っているのだが、自分が客としてカウンターの店に来ると、同じ料理人の手元が気になって仕方がない。
職人の素手って、本当にすごいのだ。
そういえば、板前だった親父の手は、どんな作業をしていても丁寧でかっこいい動きだなと子ども心に思っていた。店が休みの日でも少し生臭かったのを覚えている。
自分の店を持ってから、カウンター越しにお客様に「笠原さんは手がきれいだね」と言われると、料理を褒められる以上に嬉しくなる。何を作ってもおいしそうに見える手とまずそうに見える手がある。その違いはなんなのか。
言葉ではうまく言えないけれど、手は料理する上でとても重要だと思っている。
「熱い!」悲鳴の主は
おむすびの大将だった
大将から差し出された塩むすびは、てっぺんのところが、ぴんと尖っていた。鋭角の部分がシャープですっきりしているのに、どこか優しい感じがする。とても美しいさんかくなのだ。
大将の素手から生まれたその優しいさんかくを、こちらも素手で受け取った。
がぶりと一口。
はあ、旨い。
米がほろほろ崩れる。
甘くて、熱くて、温かい。
友人も僕もはふはふ言いながら、黙々とおむすびを?み締めた。
『うまい旅 笠原将弘のあちこち出張日記』(笠原将弘、光文社)
「うひゃっ、あっちぃぃぃー!」
突然、米を味わう静寂を切り裂く、素っ頓狂な雄叫びが店中に響いた。
見れば、塩むすびの大将が、揚げ物をしていた。
もしかして、油がはねた!?それくらいで熱いの?いやいや、そんなわけないでしょう。揚げ物油は確かに熱いよ。でも、炊き立てごはんに比べたら楽勝でしょう?
いやあ、わからないもんだねぇ。
大将の素手に、弱点を見た気がした。
揚げ物油には弱いけど、炊き立てごはんには強いのかもしれない。博多出張の締めには、大将が素手で握る塩むすびをまた食べたい。







