当たらないまま出ていく恥ずかしさに、笑顔も引きつりました。

 ただ、渋谷の若者は思いのほか心優しくて、私が登場した後のリアクションには深いお気遣いをいただきました。「この人だれ?」なんて言わないでいてくれました。

恥を捨ててチャレンジした
経験が自分の幅を広げる

 あの時私は、「これたぶん成立しないロケだと思います」とは言えませんでした。

 それは上下関係から言えなかったのではなく、こういう想定だとうまくいかないという経験を持っていなかったのです。スタッフも、一生懸命に私をPRしてくれようとしていましたから、余計に言えませんでした。

 知名度がなくてつらい、このことを痛感したからこそ、知名度がなくて仕事がうまくいかない後輩のこと、痛いほどわかります。そう考えると、あの時私は貴重な経験を得たのだと思います。

 でも、今でも覚えているくらい恥ずかしかった。

 若い頃はそんな気持ちになることがとても多かったのを覚えています。

 ただ、あの頃のほろ苦い思いがあったからこそ、今、誰かの悩みに寄り添えます。また、「えいや!」とやってみたからこそ、自分の幅が広がったのだと思います。いくつになっても恥を捨て、チャレンジすること。

 その素晴らしさは、恥を捨ててチャレンジした人にしか味わえません。

新人時代の失敗から痛感した
「伝えること」の難しさ

 アナウンサー人生で最初の失敗として記憶していることがあります。

 それは、ある言葉の読み方、いや、伝え方が間違っていたという失敗です。学生時代にはなじみのない、私にとっては初めて目にする言葉でした。

「正殿松の間」皇居宮殿の中でも、最も格式が高い部屋であり、新年祝賀の儀や、内閣総理大臣の親任式、歌会始の儀など、主要な儀式に使用されていることを、今では当然、理解しています。

 当時、新入社員だった私は「わからないことは何でも聞きなさい」と、報道のニュースデスクに言われていました。

 ですから私は、この言葉についても素直に聞きました、「これは何と読むのですか?」と。するとそのデスクは笑顔を見せながら、優しく、丁寧に、「せ・い・で・ん・ま・つ・の・ま」と教えてくれました。

 実は、この丁寧な発音に落とし穴があったのです。

 報道デスクは、私が、『せいでん』か『しょうでん』かの確認作業がしたかったのだろうと考えていて、私もその点では一致していました。

『伝える準備』書影伝える準備』(藤井貴彦・ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 しかし私はその前に、とんでもない勘違いをしていて、「正殿松」という松があるお部屋だと思っていたのです。正しくは「正殿・松の間」です。

 その状況でデスクが、「せ・い・で・ん・ま・つ・の・ま」とゆっくり読んでくれたので、本当の問題をあぶり出せなかったのです。私は最後まで、厳かな松の盆栽がお部屋にあるんだと信じて疑わなかったのです。

 その後、本番が始まり、私は堂々と「正殿松の・間」と発音して、番組は終わりました。ミスだとわかったのは、放送後のことでした。

 アナウンス部に戻ると、当時の上司が笑いをこらえきれず、「おい、正殿松!」と私を呼びます。しばらくの間、私は、正殿松という厳かなあだ名で生活することになりました。

 どこで「読みを切る」かで、言葉の意味は大きく変わってきます。巨額の『お食事・券』をめぐる『汚職・事件』が起きないことを切に望みます。