学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が、数多く記録されているのです。
そんな「すごい」と「やばい」の両面から、日本史の人物のリアルな姿に迫るのが、『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』。本原稿では、本書の内容を引きながら、日本史上、社会に大きなインパクトを生んだ「本当にすごい人物ベスト3」を紹介する。(ダイヤモンド社書籍編集局・三浦岳)
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第3位:天武天皇――「日本」という物語をつくった男
歴史上の「すごさ」は、単に戦に勝つことだけではない。国家のあり方を設計する力もまた、大きな能力だ。
天武天皇はまさにそのタイプの人物である。国の呼び名やトップの称号、さらには神話の枠組みまでを一気に整え、日本という国の「物語」をつくり上げた。以下は、『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの一節だ。
しかし「倭」は「小さい」という意味で好ましくないとして、天武は国の名前を「日本」としたといわれています。
「天皇」もそれまでは「大王(おおきみ)」と呼ばれていましたが、中国の「皇帝」に対抗して「天皇」という称号を定着させたともいわれています。――『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より
その中では「日本の最高神は太陽の女神・天照大神(あまてらすおおみかみ)」で、「天皇は天照大神の子孫」とされています。――同書より
事実かどうか以上に、「どう見せるか」を徹底的に設計する。その手腕は、現代の国家ブランディングにも通じる「すごい」レベルの戦略性だ。
第2位:三淵嘉子――国家に対しても「NO」を突きつけた裁判官
三淵嘉子のすごさは、権力や空気に流されず、「法と事実」に基づいて判断を下した点にある。
彼女は「日本で初めて弁護士となった女性3名のうちのひとり」で、「のちに日本女性として初めての判事、裁判所所長」にもなった人物である。
戦後日本においては、国家や国際関係への配慮が強く働きやすく、司法判断もその影響を受けがちだった。そんな中で、三淵嘉子があえて一歩踏み込んだ結論を出したのが、いわゆる「原爆裁判」である。
この裁判は、広島・長崎の被爆者が日本政府に損害賠償を求めたものだが、単なる国内訴訟にとどまらず、原爆投下そのものの違法性という極めて重いテーマを含んでいた。
その中で三淵は、次のような結論に踏み込んだ。
広島と長崎の被爆者が、日本政府に損害賠償を求めた裁判で、世界で初めて「原爆投下は国際法違反」と認めた歴史的な裁判でした。――同書より
立場を考えれば、判断をぼかすこともできたはずだ。それでもあえて踏み込んだ結論を出した。この「空気を読まない強さ」は際立っている。
空気を読まないことは、歴史のときどきにおいては逸脱と見なされることもある。しかし、そうした決断こそが、やがて時代の基準を塗り替える。三淵嘉子は、その決断で歴史に大きな影響を与えた、日本史上でも屈指の人物である。
第1位:緒方洪庵――命を救う「仕組み」をつくった男
緒方洪庵のすごさは、「医者として優れていた」ことにとどまらない。
知識や技術を自分の中に閉じ込めるのではなく、それを社会全体に広げる「仕組み」をつくった点にある。
江戸時代後期、天然痘は命に関わる深刻な感染症でありながら、有効な対策はまだ限られていた。そうした状況の中で洪庵は、西洋医学を学び、それを実践の場に落とし込んでいく。
洪庵は全国から集まった塾生とともに貧しい人々にも治療を行いました。――同書より
単なる名医であれば、救える命には限界がある。しかし洪庵は、教育と実践を組み合わせることで、その限界を突破した。
洪庵は海外から輸入された天然痘ワクチンを取り寄せ、大坂に「除痘館」という種痘施設をつくりました。――同書より
知識を広め、仕組みをつくり、人を救う。その一連の流れを実行した洪庵は、「すごい」を超えて、社会のあり方そのものを変えた人物といえる。
「すごい」とは、個人の才能ではなく、時代の基準や仕組みを変えた力のことだ。そしてその裏には、当時の人から見れば「やばい」と思われるような行動もある。本書は、そんな「すごい」と「やばい」の両面から、歴史人物の姿をわかりやすく伝えている。
(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』に関連した書き下ろし記事です)









