学校で学ぶ歴史は、偉人たちの輝かしい功績が中心です。しかし実際には、その陰で正当に評価されなかった人物や、時代の流れの中で不遇な最期を迎えた人物も少なくありません。本記事では、『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より、日本の近代化を推し進めたにもかかわらず、処刑されることになった小栗忠順のエピソードを抜粋して紹介します。2027年の放映が決定した大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公として注目が集まるいま、その人物像に迫ります。

【2027年大河】新政府軍に処刑された幕府の天才「小栗忠順」とは何者か?Photo: Adobe Stock

近代日本の土台をつくった天才官僚

 黒船来航により日本が開国し、混乱した幕府を支えた天才エリート官僚が、小栗忠順です。

「外国人を追い出せ」という攘夷思想がはびこるなか、「日本の未来のためには、逆に外国から学ぶべき!」とアメリカへ行き、日本の外交・経済の近代化を推し進めました

 アメリカから帰国した忠順は「日本も自分たちの力で軍艦や機械をつくれるようにならなければ」と考え、フランスと協力して「横須賀製鉄所」を建設します

 これは日本で初めての本格的な近代工場で、のちの横須賀造船所の元になりました。忠順の行動は、日本の「ものづくり」の始まりでもあったのです。

 また、忠順は「経済がしっかりしていないと国は強くなれない」と、税の仕組みや通貨制度も見直そうとしました。金や銀の流通を整え、外国との貿易を公平にし、日本の産業が成長できるよう努力しました。

【2027年大河】新政府軍に処刑された幕府の天才「小栗忠順」とは何者か?イラスト:和田ラヂヲ(『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より)

 幕府は新政府に倒されてしまいますが、早くから「鉄道も必要だ」と主張していた彼の考え方は、のちの明治政府の政策にもつながっていきます

 未来志向で政策を実行した彼が幕府にいなければ、日本の近代化はもっと遅れていたかもしれません。

(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの抜粋です)

小栗忠順(1827~1868)
江戸幕府の旗本出身の官僚で、1860年に万延元年遣米使節として渡米し西洋の制度を学び、帰国後は勘定奉行として財政・通貨・貿易改革を進めるとともに横須賀製鉄所の建設を主導するなど近代化を推進したが、戊辰戦争の混乱の中で失脚し1868年に処刑された。