学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が、数多く記録されているのです。
そんな「すごい」と「やばい」の両面から、日本史の人物のリアルな姿に迫るのが『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』。今回取り上げるのは、戦国の動乱のなかで主君を替えながら家を存続させる一方、日本文化の継承にも大きな役割を果たした細川藤孝です。

【歴史好きなら納得】日本史上「最も教養のある武士」ベスト1Photo: Adobe Stock

スーパー文化人すぎて命が助かる

 戦国武将の細川藤孝は最初、室町幕府将軍家に仕えていましたが、幕府に力がなくなると織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と、空気を読んで仕える先を変えました

 一見ズルい感じがしますが、これは戦国の動乱のなかで細川氏と、かれの愛する文化を守るための戦略だったのです。

 藤孝は茶道・連歌・料理・楽器・古典などさまざまな教養を極めたスーパー文化人でした。

 とくにすごいのは、武士でありながら貴族から教えを受け、平安時代の『古今和歌集』の難解な解釈の秘密を伝える「古今伝授」の継承者となったこと

 関ヶ原の戦いの直前、藤孝は西軍からの参戦要請をこばみ、城にこもってしまいます。

 そんなことをしたら西軍に攻めこまれてしまうわけですが、藤孝は「古今伝授」の貴重な継承者。天皇や貴族たちが「藤孝が死んだら文化が消える!」とかばってくれて、藤孝の命は助かりました。

『古今和歌集』を編集した紀貫之の雑なあつかわれ方とは大違いです(編集部注:平安時代、紀貫之はその『古今和歌集』を作り上げたにもかかわらず、その後、京から遠い土佐へ下ることになった。『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』参照)。

【歴史好きなら納得】日本史上「最も教養のある武士」ベスト1イラスト:和田ラヂヲ(『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』より

 その後も藤孝は文化を守るため、貴重な資料を収集したり書き写したりして保管しました。

 細川氏は江戸時代以降も熊本藩主として栄え、現代でもその資料の数々を博物館で公開して日本文化に貢献しつづけています。

(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの抜粋です)