老子によると、他人を知る「知恵」や他者に勝つ「力」は、ただ外部世界で生きるための「術」に過ぎません。それよりも、自分を認識する方がより深い「洞察」を備え、自身に勝つ方が本当の「強さ」となるのです。
他人の関心を引くために、肩書やフォロワーを獲得するような行為は、外部の「目」で自分を評価するようなものであり、自分の価値を内面の「目」からきちんと認識できていないため、外部の肯定を借りて自己肯定を達成しようとするものだと言えます。たとえ「関心の奪い合い合戦」に勝ったとしても、結局は自分自身のことを見ていないのです。
そのため、外部の「目」を意識せず、内面の「目」で自身の価値を正確に評価することだけが、強くて揺るぎない自己を確立する唯一の道。それができて初めて、周りの人の成功に惑わされることなく、自分の道を歩むことができるのでしょう。
深い苦しみを生む
不自由ない境遇
「上を目指せ」という言葉をよく耳にしますが、この「上」は一体何を意味するのでしょうか。
古代中国の文人にとっての「上」は、科挙に合格し、官職に就くことだったでしょう。現代の会社員にとっての「上」は、部長の座に昇り詰めることかもしれません。私の知人にとっての「上」は、教授になることでしょうか。実にさまざまな「上」が存在するのです。
このように、「上」というのは、時代や社会のイデオロギーによって作り出されたものに過ぎず、決して絶対的なものではありません。
『菜根譚』には、ハッとさせられるほど心に刺さる言葉が記されています。
『菜根譚』明朝本前集
人々は名声や地位を得ることを喜びだと思う。しかし、名もなく地位もないことに、真の喜びがあるのは知らない。
人々は飢えや寒さに苛まれることを不幸だと思う。しかし、不自由ない境遇にある者が抱く苦しみが、更に深いことを知らない。
人知名位為樂、不知無名無位之樂為最真。
人知飢寒為憂、不知不飢不寒之憂為更甚。
人々は名声や地位を得ることを喜びだと思う。しかし、名もなく地位もないことに、真の喜びがあるのは知らない。
人々は飢えや寒さに苛まれることを不幸だと思う。しかし、不自由ない境遇にある者が抱く苦しみが、更に深いことを知らない。
人知名位為樂、不知無名無位之樂為最真。
人知飢寒為憂、不知不飢不寒之憂為更甚。
まさにこの一節が指摘している通りだと思いませんか?







