企画に対する決定権を持ち、キャスティングから編集に至るまで絶対的な権限を持っていた〈タイクーン〉にとって、映画会社に社員の形態で雇われていた俳優や監督といった労働者たちが、労働組合を結成して個人の権利を守ってゆく動きは目の上のたんこぶのようなもの。労働時間や最低賃金、団結権など労働者の権利を保障する全国労働関係法がアメリカで制定されるのは1935年になってからのことです。仲間内で労働組合問題の調停にあたらせるという思惑のもと、労をねぎらうことで問題の本質から目をそらそうとアカデミー賞がはじまったということなのです。

 その後ハリウッドでは、監督や俳優、プロデューサーや脚本家など、職種別に組織されたユニオン(組合)が結成され、ハリウッドで働く映画人のための労働組合として機能しはじめます。今はこれがギルド(協会)となって、映画業界で働く人たちの利益保護や労働条件の改善活動が行われています。

 例えば、2023年に全米脚本家組合(WGA)と全米映画俳優組合(SAG)が契約更改を求めたストライキがありました。この時、全米脚本家組合は、大手映画スタジオ側の組合である全米映画テレビ製作者協会(AMPTP)との間で報酬に関する契約やAIの使用に関する対策をめぐって衝突。交渉が決裂したため、約5カ月ものストライキが行われ、その間は映画やドラマなどすべての撮影がストップしたのです。全米映画俳優組合の方は、ハリウッドの歴史上最長となる118日間にも及ぶストライキを敢行しました。

 このような権利を守る姿勢は、〈タイクーン〉の時代に逆戻りしないための行動だと理解できます。

授賞式の会場は変更され
晩餐会形式からショー形式へ

〈授賞晩餐会〉の形式で始まったアカデミー賞授賞式。第16回になって現在の授賞式に近い形式のものとなりました。ここにも社会的な歴史の流れが関係しています。

『カサブランカ』(1942)が作品賞に輝いた第16回の授賞式は、第二次世界大戦の渦中である1944年3月2日に開催されました。投票権を持つアカデミー会員のうち約200名が戦地に徴集されていたというご時勢に、「戦時中に晩餐会とは何ごとか」という世論があったことから、会場がルーズベルトホテルの斜め前にあるチャイニーズ・シアターに移り、会場が劇場になったことで授賞式は晩餐会形式からショー形式へと変化。現在のような授賞式になったのです。