『カサブランカ』は、ナチスドイツに対するレジスタンス活動と大人の男女の恋愛を描いた作品。現在の視点ではモノクロの“古い映画”だと認識されがちですが、当時の“今”を描いた作品だったことも重要です。物語の舞台はアメリカで劇場公開される年の前年です。

ラジオの実況放送で
スターの声が戦地にも届いた

 翌年の第17回授賞式からは、全国ネットによるラジオの完全実況中継がはじまったのですが、この時ひと悶着がありました。ラジオでの生放送自体は1930年に開催された第2回アカデミー賞授賞式でも行われていたのですが、これはロサンゼルスの地元局のみでの実況放送でした。

 まだ映画スターの生の声を聞くことが難しかった時代。授賞式の実況放送では、受賞した人気スターの生の声を聞けるとあって大衆の人気を集めていました。そのため、放送は彼らが授賞式に登場する後半を中心に行われていたのです。

 ところが、この姿勢に反発したのが全米監督協会(DGA)のメンバーたち。当時、監督賞の発表は授賞式の前半に行われていました。それに対して、受賞監督たちが放送で紹介されないのは、映画芸術科学アカデミーが映画監督を軽視しているからだと、アカデミーからの脱会を示唆したのです。そういった長年にわたる抗議の結果、第17回授賞式からラジオの全編完全実況中継が実現したというわけなのです。この時、海外に向けたラジオ中継を聴いていた戦地のアメリカ兵たちは、スターの生の声に励まされたといいます。

資金力のあるテレビの協賛で
ショー形式が多様化していった

 スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品『フェイブルマンズ』(2022)の劇中で、主人公の少年が初めて映画館で観る映画は『地上最大のショウ』(1952)でした。列車が激突する大事故場面に夢中となり、そのシーンを模型で撮影して再現するくだりは、実際にスピルバーグが少年期に撮影した映像をセルフリメイクしたものでした。スピルバーグも多大な影響を受けた『地上最大のショウ』が作品賞に輝いた1953年に開催された第25回授賞式からは、初のテレビ放送もはじまっています。

『アカデミー賞入門』書影アカデミー賞入門』(松崎健夫、KADOKAWA)

 司会のボブ・ホープは授賞式の冒頭で「映画とテレビ、ふたつのエンターテインメントの結婚です。アカデミーは25歳の適齢期ですが、実家が裕福なのは安心材料です。花嫁の父が費用を払ってくれます」と自虐的に語って会場の爆笑を誘いました。

 テレビに映るということで、招待者たちがこれまで以上にメイクや衣装にこだわり始めるのもこの時から。テレビという視覚的な要素が加わったことで、アカデミー賞の授賞式はショー形式が多様化することになっていきます。

 さらに、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)が作品賞に輝いた1966年に開催された第38回からはカラー放送が開始。また、アポロ11号の月面着陸が全世界に向けて生中継された1969年の翌年の第42回授賞式からは国際放送も開始され、“ハリウッドにおけるハリウッドのための賞”だったアカデミー賞は、一気に国際的な認知度がアップしていくのです。