後閑:「あの時こうしていれば」という後悔の気持ちは、今になって結果がわかっているからこそ生まれるものです。その時は最善を尽くしたのであり、決して悪いことばかりではなかったと考えることが大切です。その選択が悪かったというよりは、病気や老化が私たちの予想を上回ったという捉え方もできます。
日常の延長線上にある看取り、
緩やかな変化を支える
ソファ:看取りについて後閑さんにお聞きしたいのですが、「死」をどのようにお考えですか。
後閑:私は、「死は特別なことではなく、日常生活の延長線上にある」「最期まで日常を生きている」という考え方を大切にしています。つまり、患者さんは「死ぬために生きているわけではない」のです。この考え方は、看取りの際の看護ケアにも反映されていると思います。
ソファ:具体的にはどのように反映されているのでしょうか。
後閑:患者さんの状態が悪化しても看取りが近くなっても、それまでと同じようなケアを継続することを心がけています。意識がはっきりしなくなっても、訪室して声をかけ、顔を拭いてひげを剃り、保湿クリームを塗るなど、できる範囲でケアを行います。これは、患者さんの尊厳を最期まで守り、その人らしい最期を迎えられるようにするためです。同時に、患者さんの微妙な変化を見逃さないよう注意を払います。呼吸が少し不規則になったり、会話のテンポが遅くなったりするなど、高齢の方の場合その変化が乏しいこともありますが、患者さんからの何かしらのサインであることが多いので、それを読み取ろうと努めています。
ソファ:看取りが近い人の日常的ケアにはそういった意味合いもあるんですね。
後閑:そうですね。家族にとっては看護師が最期まで日常的なケアをしてくれていることが嬉しかったり、患者さんが大切にされているというご家族の安心につながったりします。また、遠方に住む親族や、患者さんの状態を受け入れられない家族もいます。そのような場合でも、決してこちらが解決しようとはせず、関わることを諦めないで粘り強くコミュニケーションを取り続けますね。
ソファ:後閑さんは書籍や連載でも「愛」という言葉をよく使われますよね。後閑さんにとって、それはどのような意味合いなんでしょうか。







