この再評価を作者が喜ぶかどうかはわからない。不本意だと言うかもしれないし、望外の喜びだと考えるかもしれない。

 いずれにしても、いま古典となっている『ガリバー旅行記』は作者の力のみによって成立しているのではないことだけははっきりしている。作者の作意から大きく外れた受容によって古典が生まれたことは否定できない。

 つまり、古典は作者ひとりで生まれるのではなく、後世の受容によって創り上げられるもののようである。

 絶対的作者の概念は、古典に関する限り、修正されなくてはならない。作者が作品を創るのだが、それがそのまま古典として歴史に残るのではない。

 後人の目に見えない力が加わって古典になったり、逆に消えたりするということを承認しなくてはならない。

宮澤賢治の名声は
遺稿発見者のおかげ

 そんなことをぼんやり考えてはいたが、なお、古典というものがはっきりとらえられないでいた。

 そういう迷いの中にあったとき、稲垣足穂という詩人が自分の作品に「千年生き残る」といった意味のことを新聞広告にうたっているのを見て、目がさめたようである。

 いくらすぐれた詩人でもこんなことを言う資格はない。古典は作者によって生まれるものではなく、読む人、後々の人によってつくり上げられるものである。

 詩人がどんなすぐれた作品を書いたにせよ、自分で、千年の古典になるなど本気で考えることはできない。それを出発点にして、自分なりの古典の原理を仮説としてつくり上げた。

 作者は作品を創る。それに文学史的価値を加えて古典にするのは受容者である。作者だけで古典になった例はない。そういうのが私の古典の説である。

書影『乱読・乱談のセレンディピティ』(外山滋比古、扶桑社)『乱読・乱談のセレンディピティ』(外山滋比古、扶桑社)

 宮澤賢治は戦後になって文名を高めた詩人で、「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ……」は知らぬ人もないほどだが、作者がそれに自信をもっていたかどうかは疑問である。

 というのも、この詩は作者生存中には発表されることなく、手帖の中で眠っていたのである。遺稿を整理した人が発見、公表して、たちまち有名になったのである。

 作者が本当に自信をもっていたとすれば、生前、発表したはずである。そう思わなかったから手帖の中に放置されていたのであろう。これを明るみに出したのは、作者ではないが、古典を生んだ点で第二の作者と見てよいかもしれない。

 少なくとも古典化はこの発見者であった。もしその力がなければ、この詩は永久に闇の中へ葬られたであろう。われわれ読者は、そういうことをほとんど考えないで、宮澤賢治の詩を古典だとしている。