英文学最古の作品から香る
不自然なキリスト教の匂い

 文学研究において原稿が、文献学になって作品の原形を明らかにする最高のテクストとされるようになった。文学作品の変貌ということははじめから論外とされたのである。

 イギリス文学にはこういう例がある。

 英文学最古の作品は「ベイオウルフ」ということになっている。文学史では7世紀ごろの作品だとしているが、現存する最古のテクストは11世紀の稿本(大英博物館蔵コトン・ライブラリ)である。

 空白は400年。その間、残っているテクストは皆無である。それはしかたがないが、看過し得ない問題がある。

 もとの作品が生まれたころのイギリスはまだキリスト教が広まっていなかった。したがって、異教的であったと考えられる。ところが、コトン・ライブラリの稿本は、すっかりキリスト教的になっているのである。

 原作がそのまま伝えられて現存テクストになったのではないことは、明白である。だれが、いつどうしたか、今となっては知ることはできないが、オリジナルの作品がそのまま文学史の作品になったのでないことだけは認めなくてはいけないだろう。

風刺作品の『ガリバー旅行記』は
児童文学に形を変えられた

 ずっと時代は降るが、18世紀に、ジョナサン・スウィフトに『ガリバー旅行記』という作品がある。いまは児童文学の古典であるが、作者のスウィフトは、子どもの読みものを書いたわけではなかった。

 当時のイギリスの政界はたいへん乱れていて、政治的不正、堕落は目に余るものがあった。作者はそれに腹を立てて弾劾する作品を書いた。

 政治的性格のつよいものだから、実名を出せば、ただではすまない。それで諷刺の形をとった。同時代の人には、それで充分見当がついたのである。

 たとえば女王の前で綱渡りをするのがだれであるか読者にはわかるようになっていた。かなり人気をあつめたが、作者に累の及ぶことはなかった。

 それはいいが、諷刺というものはピストルのようなもの。至近距離には威力をふるうが、遠くにはタマが飛んでいかなくて無力である。諷刺も同時代の人には強烈な効果をあげるけれども、後の時代の新しい読者にはピンとこなくなる。

『ガリバー旅行記』も19世紀になると、諷刺さがなくなってしまう。もとの意味がわからなくなる。普通なら、そこで作品の生命は終わるところであるが、『ガリバー旅行記』はそうではなかった。

 諷刺ではなく、リアリズムの作品として読む人たちがふえて、再評価を受けるようになる。児童の読みものとしてすぐれていることが発見され、それが定着し、世界的名作になった。