人口減少で社会の持続性が危ぶまれ、それに伴って移民を多く受け入れることで社会のかたちが変わってしまうのではないかという不安が広がる現代、「そもそも社会とは何か」という問いに立ち返る意味は大きい。この問いに、80年も前に明快な答えを示していたのがピーター・ドラッカーだ。ドラッカーは「自然生態学者が生物の環境を研究するように、私は人間によってつくられた人間の環境に関心をもつ」と言い、自ら社会生態学者と称した。その著書『イノベーターの条件――社会の絆をいかに創造するか』を読めば、いま私たちが抱える社会不安の正体が驚くほどクリアに見えてくる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

社会は「あって当然」ではない
私たちは、空気と同じように社会を「あって当たり前のもの」と思い込んでいる。だが本書は、その思い込みにきっぱりと冷や水を浴びせる。
ドラッカーは、社会を生命にたとえる。命が何であるかを定義するのは難しいが、心臓が止まり呼吸が止まれば「死んでいる」とわかる。社会も同じで、定義は難しくても、機能しなくなった瞬間は見分けられるというのだ。本書には、こう書かれている。
人は、生物的存在として生きるために呼吸する空気を必要とするように、社会的存在として生きるために機能する社会を必要とする。しかし社会を必要とするということは、必ずしも社会を手にしているという意味ではない。
――『イノベーターの条件』
たとえば、難破船で逃げ惑う人々の群れは、人数こそ多いが社会ではない、とドラッカーは言う。パニックは社会の崩壊の証拠であって、社会そのものではないのだ。人が集まっているだけでは、社会とは呼べない。この一見当たり前に思える指摘こそが、本書全体の出発点となる。
社会が機能する二つの条件
では、ただの群れが「社会」になるには何が必要なのか。ドラッカーは二つの条件を挙げる。
一つめは、一人ひとりに「位置づけ」と「役割」があること。つまり、自分がこの社会のどこにいて、何をする存在なのかがわかっている状態だ。これがないと、人にとって社会は意味をもたない。本書はその感覚を、見事なたとえで描く。
なじみのない部屋で、目隠しをされ、ルールを知らないゲームをさせられているようなものである。しかも、そこで賭けられているのは、彼ら自身の生計の資、幸不幸、ときには命でさえある。
――『イノベーターの条件』
二つめは、その社会を動かす権力に「正統性」があること。正統性とは社会に認められた支配の資格のことだ。ドラッカーは、社会で受け入れられている考え方(人間とは何か、何のために生きるか)にかなっている権力こそが正統だと述べる。逆に、この正統性を欠いた権力は、誰にも責任を負わず、限界もなく、必ず腐っていくという。
独裁者にすがる人々の正体
本書の指摘がぞっとするほど鋭いのは、ここからだ。居場所を失った人々は、変化を約束する者であれば、専横の独裁者にさえ身を投げ出すとドラッカーは警告する。
社会のなかに自分の位置づけがなく、権力にも正統性が感じられないとき、人は社会を「不合理で理解不能な魔物」としか感じられなくなる。そうなった人々には、もはや失うものも、踏みとどまる理由もない。だからこそ、希望をちらつかせる者に簡単になびいてしまうのだ。本書は、その危うさをこう言い切る。
社会をもたない大衆は失うものがない。束縛するものさえない。しかも、理念をもたない大衆は、彼らを思いのままにしようとする専制者に対して、抵抗すべき組織的基盤をもたない。
――『イノベーターの条件』
現代の不安を読み解く一冊
この80年前の洞察は、人口減少にあえぐ現代の私たちに、重い問いを突きつける。社会の担い手が減るとは、単に人手や税収が足りなくなることではない。一人ひとりの「位置づけと役割」が揺らぎ、社会への参画が難しくなることでもあるのかもしれない。
移民の受け入れによって社会が不可逆的に変わってしまうのではないか――そんな不安も世界各地で語られる。だが本書の論理に従えば、本当に問うべきは「人が入れ替わること」そのものではないのだろう。新しく加わる人々に位置づけと役割を与えられるか、そして社会の権力が正統性を保てるか。問われるのは構成員ではなく社会の機能のほうなのかもしれない。
社会は、放っておいても続くものではない。だからこそ、その絆をどう創造するかを問い続けたドラッカーの視点は、令和を生きる私たちにとって、これ以上ないほど切実な道しるべになるだろう。







