生成AIがさまざまな仕事をこなすようになり、自分の仕事はこの先どうなるのかと不安を抱く人は多いだろう。実は、その変化の本質を30年も前に見抜いていた人物がいる。20世紀を観察し続けることで、21世紀を多く側面で言い当てたピーター・ドラッカーだ。その著書『イノベーターの条件――社会の絆をいかに創造するか』だ。本書を読めば、いま私たちが立っている時代の道しるべが手に入る。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

社会を動かした「働き方」の激変
20世紀は、世界大戦や革命といった派手な政治事件の世紀として語られがちだ。だが、ドラッカーの見方はまったく違う。
彼は、人類に永続的な影響を与えたのは、新聞の見出しを飾った政治事変ではないと言い切る。本書には、こう書かれている。
海面上の暴力的な政治事変ではなく、海面下の社会転換が、社会、経済、コミュニティ、政治を変えたのだった。
――『イノベーターの条件』より
荒れた海面で暴れる波ではなく、海の底を流れる海流。その正体が、人々の「働き方」そのものの激変だった。主役が、静かに入れ替わっていたというのである。
2度起きた主役の交代
ドラッカーが描く100年は、働き手の主役が2度入れ替わった歴史として読める。
最初の主役は、農民と住み込みの使用人だった。何千年も社会の土台だったこの二つの職業は、わずか数十年で姿を消す。次に主役になったのが、工場の肉体労働者だ。農民や使用人にとって工場で働くことは生活を一気に楽にできるチャンスであり、だからこそ古い職業が消えても社会は揺らがなかった。
ところがその肉体労働者も、同じ道をたどる。1950年代に働く人の5分の2を占めた彼らは、90年代初めには5分の1以下に減った。代わって登場した3人目の主役こそ、ドラッカー自身が名づけた「知識労働者」、つまり体ではなく頭で価値を生む働き手である。
ただし今回の交代には、それまでと決定的に違う点があった。
仕事を失った肉体労働者は、仕事を失った農民や住み込みの使用人が工場労働に移っていったようには、知識労働の仕事につくことはできない。
――『イノベーターの条件』より
農民はたやすく工場労働者になれた。だが工場労働者は、そう簡単には知識労働者になれない。知識労働には高度な教育と、絶えず学び続ける姿勢が欠かせないからだ。学びをやめた瞬間に置いていかれる。これが新しい時代の厳しさだった。
生成AIは3度目の交代か
ここで立ち止まりたい。この文章が書かれたのは1995年。それでいて描かれた知識社会の姿は、いまの私たちの働き方そのものだ。20世紀を観察するだけで21世紀をここまで言い当てた洞察には、ただ驚かされる。
そしてドラッカーは、知識労働者についてもう一つ重要なことを述べている。知識社会では最大の投資は機械や道具ではなく、知識労働者自身が持つ知識である、と。働き手自身が、価値を生み出す元手を体内に抱えるようになったというのだ。
では、生成AIはこの構図に何をもたらすのか。文章作成も分析も企画もAIがこなし始めたいま、知識労働の一部は確かにAIへ移りつつある。これは、肉体労働者が機械に仕事を譲った構図の、知識労働版なのかもしれない。3度目の主役交代が、すでに始まっているとも言えるのかもしれない。だが、ここで話を終えるのは早計だ。ドラッカー自身が、その先を見据えていたからである。
答えは「自らつくる」しかない
ドラッカーは、来たるべき時代を絶えざる混乱と挑戦の時代だと予告したうえで、それを乗り越える唯一の道を本書の最後にこう記している。
20世紀が社会転換の世紀であったとするならば、21世紀は社会的イノベーション、政治的イノベーションの世紀とならなければならない。
――『イノベーターの条件』より
20世紀には、農民や肉体労働者が消えても、新しい働き口や仕組みが自然に受け皿となってくれた。だがドラッカーは、これからの変化は前の世代より深刻だと釘を刺す。技術的イノベーションが勝手に問題解決のための答えになってくれた時代は、もう終わったのだ。
だからこそ「社会的・政治的イノベーション」が要るのだとドラッカーは主張する。働き方が変われば、学び直しの仕組みも、人と人をつなぐ場も、丸ごとつくり直さなければならない。AIが仕事を変えるのを待つのではなく、AIとどう働くかを自分たちで設計していく姿勢が問われている。
生成AIの登場を、ただ脅威として眺めるか。それとも、新しい働き方を自らつくり出す好機と捉えるか。海面下の海流を読み、自ら流れをつくる側に回れるか。30年前のドラッカーの問いは、生成AI時代を生きる私たちにこそ、まっすぐ突き刺さってくる。







