立ちはだかる飯尾和樹!穏やかな口調で剛腕…「ただ者じゃない感」がダダ漏れなワケ〈風、薫る第49回〉

医療もので遊女を描く理由

『風、薫る』の原案『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著)でも病院に心中未遂の遊女が運ばれてきたエピソードが記されている。医者がしょっちゅう遊郭に通っていて、医学生にも月に2回は遊郭に行くことを勧めているとか(大意)、「根津遊廓の客は、帝大生ばかり」という記述もある。

 明治時代、遊郭はまだ一般的な存在であった。いや、国にとっての財源として重要な存在でもあったのだ。江戸時代、吉原からの上納金は江戸幕府にとって大きな財源で、明治の時代になっても東京府にとって同じであったと、これも『明治のナイチンゲール』に書いてある。

 りんや直美だって、運よく看護婦の仕事ができるようになったとはいえ、生活に困窮して、どうしようもなくなっていたら、遊郭で働く選択をせざるを得ないこともあったかもしれない。

 この時代、女性がやれる仕事が限られている。とくに学も手に職もない場合は。遊女。あるいは看病婦。例えば、フユは、もしかしたら、お金のために遊郭に身を売ることも脳裏をよぎりながら、それはできず、究極の選択として看病婦を選んだとも想像できる。

 やり手婆だったヨシはなんらかのわけがあって遊郭から病院に仕事場を変えた。年齢的にやり手婆すらできなくなったか、ほかに理由があるかはわからないが。

 柴田が妙に腕っぷしが強くトラブルの対応に慣れているように見えるのも、遊郭の用心棒?的なことをやっていたのかもしれない。

 すべては推測でしかないが、病院で働く、医師というエリート以外の人間は、お金のために誰もがやりたがらない仕事を引き受ける下層労働者だった時代なのだ。その認識を変えていくのが、りんや直美である。

 原案『明治のナイチンゲール』で直美の参考とされている鈴木雅は、直美のように母が遊女のみなしごではない。士族の家系で、家柄がよく、学もある人物だ。いくら参考とはいえ、これほど出自の違う人物に設定したわけとは? 

 原案でも手厚く描かれている遊郭で働く虐げられた女性たちのこともドラマでしっかり描きたいという狙いだろう。

 遊郭で働く女性にとって病院はある種のセーフティネット。遊郭で病気になったときの治療のみならず、遊郭以外の貧しい女性の働き口にもなる。そう知ると、看護の歴史とは、女性の自立の歴史でもあるのだ。

立ちはだかる飯尾和樹!穏やかな口調で剛腕…「ただ者じゃない感」がダダ漏れなワケ〈風、薫る第49回〉