キャリア理論は人生の後半を迎えるミドルシニアに必要
本稿を読んでいる人の多くはミドルシニアのビジネスパーソンだと思います。
そこで質問です。自分と他者との認識のズレを知るツールである「ジョハリの窓」や「キャリアアンカー」「ライフキャリアレインボー」「計画された偶発性理論」などをご存じでしょうか?
どれも大学のキャリア科目の授業では当然のように出てくるキャリア理論です。
若者の早期離職問題については、価値観の相違、コミュニケーションギャップなどもあるでしょう。ただ、若者の行動を理解不能と嘆く前に、キャリア教育を受けてこなかったミドルシニアも、基本となる「キャリア理論」を学び、若者に「歩み寄るためのツール」としての共通言語を持っておく必要があるように思います。
加えて、キャリア理論の学びは、自身のキャリアの後半戦に入っているミドルシニアにとって貴重な武器になると私は考えています。特に「計画された偶発性理論」は、行動することで出会う偶然をキャリアに活かすという考え方であり、実践的で、年齢・性別を問わず、役に立つといえるでしょう。
名曲「時代おくれ」の価値観への共感と社会的使命
組織人だった頃の私は、いわば、急流を乗り切ることに精一杯で、景色を見る余裕がなかったように思います。しかし、個人事業主となり、66歳となった現在は、腰を落ち着けて、目の前のひとつひとつの仕事に丁寧に向き合うことを心がけています。
昭和を代表する作詞家の阿久悠氏が、あるテレビ番組のなかで、「大股でスタスタと跨いでしまった歩幅のなかに、大事なものがある」と語っていました。この考えが、河島英五氏に提供した名曲「時代おくれ」のモチーフとなったそうです。楽曲のなかでは、流行や効率、損得勘定を優先させるのではなく、人の心を大切にしながら不器用で愚直に生きる男の姿が描かれています。
これが現在の私の信条に近いものです。
世の中の動きに伴って変えていくべきものと変えてはいけないもの(普遍的な価値観)がある、と私は思っています。しかし、普遍的な価値観を学生に押し付けても、決して伝わることはないでしょう。カウンセリングや授業においては、働くことの意義や物事の捉え方を学生自らが考えるきっかけとなるような伝え方を追求するようにしています。
複数の大学で「カウンセラー」と「講師」の双方を務めているからこそ、いまの若者のリアルな姿が見えてきます。その気づきを大学内での相乗効果に留めず、「執筆者」としてビジネス社会(特にミドルシニア世代)にも発信する。こうした相互作用を追求することが、現在の私に与えられたパラレルワーカーとしての社会的使命だと考えています。
キャリアの第1ステージのときのような「急流を乗り切るためのパワーとスピード」はなくても、複数の役割を掛け合わせ、社会や次世代としっかりつながりながら、時代の変遷のなかで見過ごされがちな価値を丁寧に還元していく。そんなパラレルキャリアの実践こそが、人生の後半戦を迎えるシニアに、生きがい、働きがいをもたらすのではないでしょうか。









