山村への移住で気づいた
現代社会の問題点

 僕たち家族は山村に移り住むことで、市場原理では測れない価値に気がつきました。市場原理が他者ニーズによって駆動されているのだとすれば、その正反対の世界がそこに広がっていたのです。他人がどう思おうと関係なく、ただ自己ニーズ(編集部注/他人からの評価ではなく、自分にとって意味があるという実感)によって存在しているものに山村は満ちていました。

 アブやカメムシ、サワガニやヤモリといった昆虫や爬虫類。アナグマやイタチ、タヌキやシカといった小動物。そして空には鷹やサギの姿もあります。足もとには杉や檜の木々が鬱蒼と茂り、大小さまざまな岩には苔がびっしりと生え、そこからさらに木々が伸びている。そこにあるのは、人間の都合やニーズとはまったく無関係に存在しているものばかりでした。

 彼らは「生きているから、生きている」。その営みに特別な理由はなく、ただ食べ、排泄し、繁殖し、生を繰り返しているだけです。もしかすると自己ニーズとは、まさにこうしたものなのではないでしょうか。

 他人と比較して測れるものではなく、時には理性を超えてしまう力を持つもの。現代社会のつらさは、この自己ニーズが承認されていないところにあるように思います。本来、生き物は自己ニーズを満たすために生きており、それで十分なはずです。

 ところが現代社会では、他者ニーズに応えなければ人間として認められないかのように扱われてしまう。しかし本当は、まず自己ニーズを持った生き物として存在を認められることが大前提であり、その上で他者ニーズに応えていく。その順序があって初めて、人は自分の足で立つことができるのではないでしょうか。

 山村に移り住み自己ニーズの世界を知ったことで、逆に現代社会が他者ニーズによって満ちていることに気づきました。さらに深刻なのは、その他者ニーズが数値化され、可視化されている点です。

血税を使った以上の
リターンを得られるのか?

 例えば僕自身の就職活動がそうでした。大学教員になるためには実績を積まねばなりませんが、その実績は単著や論文、翻訳といった成果ごとに点数が振られ、その合計点によってランク付けされてしまうのです。さらに「外部資金」と呼ばれる研究費の獲得額までが評価対象となり、どれだけの資金を研究に引き込めるかが業績として数え上げられます。

 2000年代後半の大阪では、橋下徹氏が大阪府知事として実権を握っていました。