本来、社会には数値化できないもの、目に見えないものを大切にする視点が不可欠です。その存在を感じ取る力こそ、人文知の役割だと僕は考えています。だからこそ、僕たちの図書館(編集部注/筆者は「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を運営している)には「人文系」という言葉を冠しているのです。
SNSでの「いいね」の数に
振り回される現代人
現代社会の生きづらさの背景には、商品化経済における他者ニーズの蔓延があると考えています。その典型がSNSです。Facebook、YouTube、TikTokといったプラットフォームでは、投稿や動画に何万回もの再生や「いいね」がつくことがあります。
しかし、それらはあくまで他者からの評価にすぎません。さらに、アルゴリズムは刺激の強いものを優先的に拡散させる傾向があるため、暴力的な映像やショッキングな内容の動画は再生数を稼ぎやすいと指摘されています。
しかし、それがそのもの自体の価値を示しているわけではありません。もちろん、数値化された指標すべてに意味がないとは思いませんし、人気や支持の可視化には一定の役割があります。
しかしそれだけを追いかけ続けると、次第に「再生数に取り憑かれておかしくなってる」YouTuberが「警察に捕まり始めている」という、とある漫才師のネタのような状態に陥ってしまう。それほどまでに、数値化された他者評価は人びとに強い力を及ぼしているのです。
『資本主義を半分捨てる』(青木真兵 ちくまプリマー新書、筑摩書房)
では、その反対に「数値化できないもの」や「目に見えないもの」を信じる力が現代社会に欠けているのかといえば、必ずしもそうではありません。人は昔から目に見えないものに意味を感じ、そこに支えられて生きてきました。例えば宗教的な信仰や、死者を悼む儀礼、あるいは「友情」「信頼」といった目に見えない関係の力です。
これらは数値化できませんが、確かに人を支える力を持っています。一方で「見えない世界がある」と適度に信じることは健全でも、それが現実社会のすべてを否定する方向に傾くと、陰謀論に陥ってしまいます。
たとえば新型コロナウイルスの流行時に「ワクチンは人体にマイクロチップを埋め込む計画だ」といった虚偽情報が広がったり、米国のQアノンのように社会の出来事をすべて裏の勢力の計画に結びつけてしまう運動が現れたりしました。
こうした極端な目に見えないものへの信仰は、社会を分断し、暴力や差別を生む危険さえはらんでいます。







