彼は文化や芸術といった、本来は数値だけでは測りきれない価値を「来館者数」や「観客数」といった指標に還元し、その数字に基づいて予算配分を決定しました。市場原理を文化や教育、さらには医療や福祉の分野にまで持ち込もうとしたのです。

 その結果、府立の国際児童文学館は2010年に府立中央図書館に統合され、独立した施設としての役割を失いました。また伝統芸能である文楽への補助金も、観客が少ないという理由で削減されました。

 さらに人権問題を扱うリバティおおさか(大阪人権博物館)は、来館者数が少ないことを理由に補助金が打ち切られ、2020年に閉館へと追い込まれました。

 美術館や博物館も入場者数や収益性で評価され、民営化や指定管理者制度の導入が進みました。こうした政策は「無駄をなくす」「効率化を図る」というスローガンのもとで多くの市民から支持されました。その結果、行政や公共サービスが縮小され、市場原理に基づく運営へと移行していく流れが加速していったのです。

そもそも行政の施策に
市場原理を持ち込むべき?

 思えばこの傾向は大阪で始まったわけではなく、2000年代前半の小泉純一郎政権の時代に、市場原理を幅広い分野に適用する流れが一気に強まりました。郵政民営化をわかりやすい構図で打ち出した小泉首相は、メディアを巧みに利用しながら既得権益との戦いという物語を提示し、多くの国民の支持を得ました。

 その延長線上で、規制緩和や民営化が推し進められ、公共サービスの領域にも市場の論理が持ち込まれていきました。2000年代後半の大阪で橋下徹氏が展開した政策も、この潮流に位置づけられます。

 文化や教育といった本来は数値では測りきれない領域を、利用者数や収益性といった数値に還元して評価し、予算配分を決める。そのシンプルでわかりやすい基準は、多くの人に受け入れられ、メディアでも「改革」としてもてはやされました。

 僕は市場原理そのものが悪だと言いたいわけではありません。しかし、何もかもを単一の原理に統一してしまうことには大きな危険があります。商品の論理としての市場原理では、中長期的な視点を持つことがどうしても難しくなってしまうからです。