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現代社会では、生きることが労働力を商品として売ることと結びついている。働けない自分には価値がない――そんな感覚に追い込まれる人も多いが、個人の弱さではないと筆者は説く。※本稿は、思想家の青木真兵『資本主義を半分捨てる』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
市場原理だけで動く社会は
どこか不安定で息苦しい
僕たちは、商品化を自己実現のために欠かせないプロセスとして受け止め、当然のものだと考えてきました。自己実現によって得られる「自己」は、商品価値の高いものである必要がありました。
そもそも商品とは市場という他者のニーズによって成り立ちます。誰かが欲しいと思ってくれるからこそ、商品は存在できる。欲しがられない商品は棚から撤去され、人気のない店は閉店に追い込まれます。
消費者の立場から見れば、競争によって優れたものだけが残り、質の高い商品を手にできるという利点があるかもしれません。しかし商品の側に立ってみれば、常に「欲しがってもらえる」よう努力し続けなければならないのです。
商品に囲まれて育った僕たちは、この「商品の論理」を内面化してきました。つまり、誰かに必要とされなければ価値がないと思い込むようになってしまったのです。そのため、何かを始めたり発言したりする際、最初に考えるのは「他の誰かがどう思うか」ということになってしまいました。
確かに、生きるとは労働力を商品に変えお金を稼ぐことにほかならないのですが、他者ニーズに基づく生という原理を内面化し過ぎてしまうと、働けなくなったとき、「自分には商品価値がない」と感じ、社会から退場するしかないという思いに至ってしまうのです。市場原理だけで動く社会とは、常に他人の視線を気にし、嫌われれば終わりという、不安定な綱渡りのようなものなのです。







