別所長治が毛利へ寝返り、孤立する上月城

 翌天正6年(1578)、播磨の有力国衆であった別所長治が織田方を離反し、毛利方へと寝返りました。さらに小寺政職らも離反し、秀吉の築いた播磨の支配体制は大きく揺らぎ始めます。

 別所長治の離反に呼応するように、毛利軍も行動を開始しました。その標的となったのが、織田方の拠点となっていた上月城です。

 この頃の秀吉は姫路城を本拠としていました。しかし三木城が毛利方についたことで補給ルートが脅かされ、上月城の救援どころか、自軍の維持さえ危うくなってしまいました。

 信長は戦局の重点を三木城攻めに置き、上月城の守備隊には撤退を命じます。

「豊臣兄弟!」22話より。竹中半兵衛(左:菅田将暉)、黒田官兵衛(中:倉悠貴) (C)NHK「豊臣兄弟!」22話より。竹中半兵衛(左:菅田将暉)、黒田官兵衛(中:倉悠貴) (C)NHK

 ところが、上月城を守る山中鹿介らはこれを拒否しました。

 山中鹿介は、かつて中国地方の覇者だった尼子氏の家臣でした。しかし永禄9年(1566)、主家は毛利元就によって滅ぼされてしまったのです。

 その後、鹿介は尼子氏再興のために生涯を捧げ、上月城はそんな彼がようやく手に入れた再興の拠点でした。

 しかも、城に攻めてくる相手は、尼子氏を滅亡へ追い込んだ宿敵・毛利氏です。鹿介らにとって、戦わずに城を明け渡すという選択肢は、受け入れ難いものだったのでしょう。

3万vs1万の兵力差~秀吉も救えなかった上月城

 秀吉も、一度は上月城の救援に向かいました。しかし、毛利・宇喜多連合軍は約3万、対する秀吉軍は約1万。戦力差はあまりにも大きく、信長の命令もあって、やむなく撤退することになります。

 孤立した上月城は、長くは持ちこたえられませんでした。天正6年7月、上月城の守将・尼子勝久は、城兵の助命を条件に降伏し、自害します。

 勝久は、もともと僧侶として暮らしていたのですが、尼子氏再興を願う家臣たちによって還俗させられ、尼子家当主として担ぎ上げられた人物でした。14歳の時から実に12年にわたり各地を転戦し、ようやく再興の足掛かりを得たものの、その夢は26歳の若さで潰えることになってしまったのです。