嵐のラストコンサート会場 Photo:SANKEI
2026年5月31日、東京ドームでのコンサートを最後に26年半の活動に幕を下ろした国民的人気グループ・嵐。その原点となったデビュー曲「A・RA・SHI」は、完成まで3カ月を要し、櫻井翔のラップも当初は「アイドルに必要なのか」と制作陣が試行錯誤を重ねた末に生まれた楽曲だった。音楽プロデューサーの鎌田俊哉氏が、異色のヒット曲誕生の舞台裏と、嵐が20年以上にわたって愛され続けた理由を明かす。※本稿は、音楽プロデューサーの鎌田俊哉『ヒットのつくり方』(アチーブメント出版)の一部を抜粋・編集したものです。
違うジャンルの3曲を
合体させた「A・RA・SHI」
嵐はデビュー曲の「A・RA・SHI」(1999年)から18曲ほど担当しました。最後につくったのは、活動休止前、最後のライブのラストに歌った「Love so sweet」(2007年)。この前、ラジオで特集をするために久しぶりに嵐の曲を聴き直したら、自分で言うのもなんですが、よくできているんです。新しいアイドルの形をつくったなと思いました。
彼らはグループ名が決まるよりも前に、ハワイでデビュー記者会見をすることと、そのデビュー曲がバレーボールのワールドカップの主題歌になることが決まっていたけど、それだけ。まだメンバーがふたりくらいしか固まっていないときに、事務所からデビュー曲の制作を命じられ、そのまま馬飼野康二さんのところに行って曲をつくり始めました。それでできあがったのが「A・RA・SHI」です。
この曲は完成まで3カ月ほどかかりましたね。とりあえず5曲くらいつくって、毎日ふたりであーでもないこーでもないと、テンポも曲調もいろんなパターンを試すうちに、なにがよくてなにが悪いかわからなくなるんです。それで最終的にできあがったのが、曲調がまったく異なる3曲を合体させた曲でした。







