問いを立てる力の本質は「選択」にある
AIが無数の問いを生成できるとすれば、人間に残る固有の価値は何か。
それは、この場においてひとつを選ぶとしたらどの問いに賭けるべきかを選択する力だ。
問いを生成することと、問いを選択することは、まったく異なる能力だ。前者は知識と発想の問題だが、後者は判断と責任の問題である。
なぜ選択が難しいのか。それは論理的に正しい問いが、いくらでも存在してしまうからだ。どんなに正しい問いでも、今この組織、今このタイミング、今この人間関係の中で機能しなければ意味がない。正しい問いと今ここで機能する問いは必ずしも一致しない。
その読み取りは、その場に参与している人間にしかできない(シニカルな人は、たまたま人間が歴史上そういう経験を積んできたためそれに慣れているだけだと言うかもしれないが)。
何を重視するかという価値判断もこれに関わってくる。効率か公平か、短期か長期か、個人か組織かといったトレードオフは、価値観なしには決められない。
そして最も難しいのは、捨てる決断だ。多くの問いが浮かぶ中から、不要と判断していくことが、選択の実質である。捨てるためには、なぜ今問わなくていいかという理由が必要だ。生成より捨てる方がはるかに難しい。
さらに、問いは正しいかどうかではなく現実を動かせるかどうかで評価されるべきだ。現場の意識が低いのではないかという問いはそれなりに説明力を持つ。
しかしそこから導かれるのは意識を変えようというあいまいな処方箋だけで、誰がどう行動し、組織の何をどのように変えれば結果が変わるのかは見えない。
どの意思決定プロセスが失敗を生んでいるのかと問えば、会議体の設計、権限配分、評価基準といった具体的な方策が見えてくる。問いとは、説明のための道具ではない。誰に何を変えさせるかを決める装置である。
たしかに、AIは無数の問いを提示できる。しかし、今この文脈でこの組織はこれに賭けるべきであるという判断はできない。それは情報処理の問題ではなく、状況への参与と責任の問題だからだ。







