「問いを選択する力」はどうすれば獲得できるか
では、「問いを選択する力」はどうすれば身につくのだろうか。
特別なトレーニングはない。真剣に課題に向き合い、試行錯誤を繰り返す中で少しずつ蓄積されていくものだ。
研究論文を書いたことがある人ならわかるはずだ。論文を書くとは、問いを立て、仮説を作り、検証し、この問い立ては間違っていた、この切り口の方が本質に近いといった経験を繰り返すプロセスだ。論文の価値の多くは導き出された結論(答え)にあるのではなく、どんな問いを立て、どう問い直したかというプロセスにある。
仕事の現場でも同じだ。施策が失敗したとき、鋭い人はなぜ失敗したかにとどまらず、そもそも自分はどんな問いに答えようとしていたのか。その問い自体は正しかったのかを問い直す。この「問いを問い直す」経験の蓄積こそが、問いを選択する力の源泉だ。
ここで1つの工夫が有効だ。少し次元や切り口を変えてみる習慣である。労働力の問題と思っていたものを予算配分(設備投資)の問題として見る。個人の問題と思っていたものを制度設計の問題として見る。今の問題と思っていたものを、10年前からの構造的問題として見る。
今の切り口以外で、この問題を見るとしたら?という一問を自分に投げかける習慣が、問いを選択する力を鍛えていく。特別な才能の問題ではなく、意識と習慣の問題だ。
問いを選択する力は日々の真剣な仕事の中にある
ここまで考えてくると、一つの結論が浮かぶ。
AI以前の時代、人間のエネルギーの多くは答え(になりうる選択肢)を探すための前作業としての、情報収集、文書作成、データ分析に費やされていた。いわば、付随的なことにエネルギーを費やしすぎていたのである。AIがその負荷を引き受けてくれる今、ようやく人間の前に何を問うか、何を選択するかという本来の知的作業に集中できる環境が整いつつある。
それは、真剣に課題と向き合う人間にとっては確かな追い風である。
ただし、同時に逃げ場がなくなったということでもある。何を問うか、何を捨てるかの選択と責任は、これからますます人間の側に引き寄せられていくことになる。







