劇場と配信は
補完関係にある
面白いのは、サブスク全盛のこの時代において、大ヒットした邦画実写が、改めて劇場での上映鑑賞の喜びを教えてくれたことだろう。
確認した感想の中には、配信では広告が煩わしいとか、事前に設定していないとエンディングが切れてしまう(自動的に他作品に切り替わってしまう)といったものもあった。これらは確実に没入感を削いでしまうものであり、単にストーリーを確認したいだけという人以外にとっては厄介な問題だ。
ただしもちろん、配信にも良いところはあって「劇場で聞き取れなかったセリフが字幕でわかる」ということもある。好きなシーンを繰り返し何度も見ることができるのも、配信ならではだ。
劇場公開時には約3時間という上映時間の長さから鑑賞をためらった人もいたはずだ。また、歌舞伎という題材に馴染みがなく「面白いらしいけれど自分に合うかわからない」と感じていた人も少なくないだろう。
サブスク配信は、そうした人たちが気軽に作品へアクセスするきっかけになる。実際、『国宝』の大ヒットによって歌舞伎そのものに興味を持ったという声も多く見られた。配信によってさらに裾野が広がるのであれば、それは作品にとっても歌舞伎界にとっても大きな意味がある。
また、映画館で見た人が配信でもう一度見直しているケースも見られる。
『国宝』は主人公の喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)らその他の登場人物の関係性の描写について、物語の前半で張られた伏線が後半で回収される場面が少なくない。初見では歌舞伎の華やかさや俳優たちの演技に圧倒されて気付かなかった細かな描写を確認するという楽しみ方もできる。
劇場と配信は対立するものではなく、むしろ補完関係にあると言えるだろう。配信の普及によって、私たちは過去の名作の多くをいつでも見られるようになった。その恩恵は計り知れない。
一方で『国宝』は、どれほど配信環境が整っても、映画館という空間にしか生み出せない体験が存在することも改めて示した。配信で作品に触れた人の中から、「やはり劇場で見てみたかった」と思う人が現れるなら、それもまたこの映画の力なのだろう。
※ Plassmann, H., O’Doherty, J., Shiv, B., & Rangel, A. “Marketing actions can modulate neural representations of experienced pleasantness.” Proceedings of the National Academy of Sciences, Vol. 105, No. 3, 2008, pp. 1050–1054.







