僕たちは子どものころから「みんな見てるわよ」「そんなことをしたら恥ずかしいよ」「近所の人に笑われるよ」と言われ続けて育つ。そうして「恥」を忌避する感覚が脳内に色濃くプログラミングされていくわけだ。

日本人を縛る
同調圧力の正体

 誰もいるはずがない場所を多くの人が指さして、ひそひそ話をしている場面に出くわした。

 そのときあなたはどんな反応を示すだろうか。

 何かあるんじゃないかと気が気ではなくなり、人々が指さす先に目を凝らすはずだ。周囲の行動にあなたの行動も否応なく引き寄せられる。これが同調圧力の力である。

 こんな古典的なドッキリ企画を観たことがないだろうか。

 群衆が仕掛け人となって一斉にアホの坂田のアホアホダンスを踊り出す。するとドッキリのターゲットもなぜかそれにつられてアホアホダンスを踊り出す──。

「みんなが○○しているから、よくわからないけど、自分も○○しなきゃ」

 とりわけ日本は同調圧力が強い。それは集団の和を乱すことを極端に恐れる脊髄反射と言っていいだろう。

 みんなと同じでないと悪目立ちしてしまう。だから自分の考えはひとまず脇に置いて、とにかく多数派に寄せておこう──。そんな脅迫観念が働くのだ。

 問題なのは、同調しない人を見つけると即座に「どうして私たちと同じように振る舞えないのか」と異端視するところだろう。

 日本的なムラ社会では、異質なものは徹底的に排除されてきた歴史がある。恥という感情は、そんな多数派の群れから弾き出されそうなとき、危険を知らせるアラートとして機能してきた。

 恥のアラートは、その行動が正しいか正しくないかは関係ない。「群れから爪はじきにされ、寝床がなくなり、食い扶持も減るかもしれない」というリスクに対して鳴り響く。

 日本人にとって「恥」の感情は、生存確率を維持するための安全装置なのである。