恥を遠ざけようとすると、1回のミスが致命的な重みを持ってしまう。かたや、恥を引き受けると、1回のミスはただの手数にすぎなくなる。

 変な仕様だけど、そういうものだ。だから僕は、「恥」はお得な体験だと思っている。それは将来的な自由度を拡大するための投資に等しい。

他人の視線に振り回される
人生なんてバカらしい

 僕は恥のセンサーが鈍い人間だ。あるいは、「恥ずかしい」という感情を意図的に自分から切り離しているところがある。だから周りから多少厚かましいと思われたところで、まったく気にならない。

 サンダル履きでパリの高級三つ星レストランに行ったことがある。

 お店のスタッフには怪訝な顔をされたかもしれないが、追い出されなければそれでいい。僕は美味しい食事を楽しみたいだけで、他人が僕の足元を見てどう思おうが関係ない。

 自分の人生が他人の視線に振り回されるなんてあまりにバカらしい。でもみんなが僕のように恥のセンサーが鈍いわけじゃない。

 周囲の目を気にするなと言われて、それができれば苦労しないだろう。世界はいまより平和で、無駄な殺し合いの歴史も繰り返されなかっただろう。

『人生の正体 生きること、死ぬこと』書影人生の正体 生きること、死ぬこと』(ひろゆき(西村博之)、徳間書店)

 みんなもう少しリラックスして、好きなように生きていいと思う。もちろん法律を破ったり、人に迷惑をかけたりする行為はダメだ。でも、単なるマナーや空気を破る程度の振る舞いに過敏になりすぎるのは問題だろう。

 いちいち、「恥ずかしい」とブレーキをかけるような人生はあまりに息苦しい。

 推しの交流イベントに行きたいけど予備知識がないから恥ずかしい。頑張って起業して倒産したら恥ずかしい。告白してフラれたら恥ずかしい。

 でも、それは誰に対しての「恥ずかしい」なのだろう?赤の他人に対してなのか。自分の中にある「理想の自分」に対してなのか。

「恥」という感情を分解し、それが本当に必要なアラートなのか、単なる自意識過剰なのかを見極める。そうすれば、人生の選択肢は驚くほど拡がるはずだ。