たとえばポーカーのようなゲームは、確率の計算と心理戦で勝率を上げることができる。
でも一方で、神の見えざる手に勝負をゆだねてしまう人も少なくない。
「ツキが回ってきた」「流れが来ている」「風向きが変わった」
そうしたオカルト的な文脈で必勝を期す。それは胡散くさい情報商材にすがるのと何ら変わらない。
ギャンブルに神の手など介在しない。あるのは確率という厳格な論理だけだ。
サイコロを振って「6」が3回続いたから、次は「6」以外の数字が出そうだ──。それは根拠のない錯覚だ。いわゆる「ギャンブラーの誤謬」(独立した偶然の出来事なのに、過去の結果が次の結果に影響すると考えてしまうこと)というやつだ。
「6」が出る確率は常に変わらない。いつも6分の1だ。仮に100回続けて「6」が出たとしても、次に「6」が出る確率は6分の1だ。
場の空気に呑まれないクールな思考。ギャンブルではそれが問われるのである。
なかにはギャンブルはロマンだと言う人もいる。もちろんそういう楽しみ方もあるだろう。ただ勝敗にこだわるなら1にも2にも確率だ。
ギャンブルには運の要素が絡む。しかしその運とは何だろう。答えはシンプルだ。幸運は、確率を疎かにしない人のもとに舞い降りるのである。
努力しても報われない人が
いるのはなぜか
成功を収めた人は一様に「運が良かった」と述べる。
それは謙遜だろうか?僕はそうは思わない。事実として「運が良かった」のだ。才能があり、たゆまず努力を重ねても、さほど報われない人もいる。
たとえば、陸上競技選手のタイソン・ゲイ(1982~現在=米国)はそのいい例だろう。彼には超人的な身体能力があった。そして日々、タフなトレーニングに励み、並外れた結果を出した。彼が残した記録を見てほしい。
■男子100メートル走 9.69秒※上海ゴールデンGP/2009年9月20日=中国・上海。
■男子200メートル走 19.58秒※リーボックGP/2009年5月30日=米国・ニューヨーク。
どちらも伝説級と言っていいタイムだ。でも歴史に名を刻めなかったのである。同時代に人類史上最速のスプリンター、ウサイン・ボルト(1986~現在=ジャマイカ)がいたからだ。







