そうした事故の背景に、加齢による注意力や判断力の低下があると考えられていたのです。制度の導入自体は、安全の確保という明確な目的をもっていました。

 私がオンライン書店で検索したのは、認知機能検査が導入された直後くらいだったというわけです。現在でも、オンライン書店で同じように検索すれば「対策本」ばかりが表示されます。

認知機能検査の目的は
重大事故を防ぐこと

 それまでの制度では、視力など身体的な能力の確認は行われていたものの、認知機能の低下をチェックする仕組みがありませんでした。認知症の自覚がないまま運転を行えば、重大な事故につながる可能性もあります。近年はこのような高齢者の状況に対して、何らかの対処を行うべきだという声がますます大きくなってきた印象があります。

 しかし、その後の社会の反応を見ていると、制度の狙いとは別の方向に意識が傾いているようにも感じます。オンライン書店で見かけた数多くの「対策本」は、それを象徴しているようでした。対策本が出版されるということは、それだけ多くの高齢者が検査に強い不安を抱いているということでもあります。

「もし検査で悪い結果が出たら、免許を更新できなくなるのではないか」「運転できなくなったら生活が立ち行かなくなるのではないか」といった切実な懸念が、受検者たちを「準備」へと駆り立てているのです。

 私の実家付近もそうなのですが、特に地方では車が移動手段の中心です。免許を失うことは、生活の自由を失うことに等しいのです。だからこそ、多くの人にとってこの検査は「安全の確認」ではなく、「生活の権利を守るための関門」へと意味づけが変わってしまうのです。「対策をする」という行為は、単なる試験への準備というより、「生活の維持」のための防衛的行動と見ることもできます。

 そして多くの人々が、検査を受けなければならないという不安や懸念から、検査を「正しく受ける」ことよりも、「どうすれば通るか」を学ぶことを重視するようになってしまうのです。問題の傾向を覚え、出題パターンを暗記し、一時的に良い結果を出すことができれば、それで安心できるからです。

 けれども、その結果は必ずしも本人の認知機能を正確に反映しているとは限りません。