私たちはたいてい、いったん何かの判断をした後で、判断の内容を考え直すことしかできないのです。
しかし一方で、数値的な証拠(エビデンス)を用いることは、私たちのバイアスに満ちた判断を修正することにつながります。そして、世の中に「人間の判断の不確実さ」という知見が広まってくるにつれて、ますます証拠(エビデンス)が重視されるようになっていきます。
どのようなことでも数値化して見えるようにする背景には、私たちの判断そのものに対する疑念も関係していると考えられます。
数字を用いるときには
“歪み”を必然として受け入れる
数値や目標、統計を用いるときに気をつけたいことがあります。
それは、「数字の歪み」が生じるのは、ある意味で「必然的なこと」であり、「当然のこと」であり、必ずしも「不正の結果」ではないということです。
私たちは「数字の歪み」を見つけると、すぐに「それは不正だ」「そんなことをする人は許せない」と断じてしまいます。「許せない」と感じることが多数出てくるかもしれません。
しかし、このような単純な断定そのものも、ここまでに指摘した認知的なバイアスの延長線上にあるものだとも言えるのです。
研究者が行うQRP(編集部注:Questionable Research Practiceの略。疑わしい研究行為)には、非常に広い範囲の研究上の行動が含まれています。実際の研究活動を行ってみればわかることなのですが、研究を進める過程では多くの「グレーゾーン」が自然に生じてくるものです。
これは、意図的な改ざんや捏造とは大きく異なるのです。
明確な悪意がなくとも、また研究活動の中で必然的に生じるような結果のゆらぎであっても、また方法論上の限界で説明できるようなことであっても、私たちはすぐに「道徳的な評価」へと飛びついてしまいがちなのです。
これは研究に限ったことではありません。ビジネスにおいて売り上げが下がれば担当者の怠慢と見なされ、学校で平均点が下がれば教師の努力不足と断じられます。数字という「結果」が、そのまま人間の「善悪」や「誠実さ」を示しているかのように錯覚してしまうのです。
しかし、数字はそのまま道徳の証拠になるわけではありません。
『「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか』(小塩真司、PHP研究所)
数字がゆらぐ背景には、偶然も関与しますし、環境の変化、データの取り方、組織内の制度的要因など、さまざまな要素が絡み合っています。数値の異常や悪化は、必ずしも誰かの不誠実さや不正の有無を直接的に示すものではないのです。
数字が不自然に見えたときに、私たちがまず意識すべきことは、それを「不正だ」と即断することではありません。
必要なことは、「どのような仕組みや状況の中でその数字が生まれたのか」を丁寧に考え続けることです。むしろ、制度や指標そのものが行動を歪ませている可能性もあるのです。
数値の背後にある「構造的な要因」に目を向けることが、数字に振り回されない判断につながるのです。







