習近平氏が最も恐れているのは、新疆やチベットの分離主義だけではない。より根本的には、人々が習近平政権の望む形で「中国」を理解しなくなっていることだ。

 中国の若者の一定の層では、党が語る「中華民族の復興」という物語への関心を失いつつある。香港では、自らを「香港人」と認識する傾向が強まっている。台湾人のアイデンティティーは、「中国人」よりも「台湾人」へと傾斜しつつある。そして経済の減速は、「復興」を支えてきた物質的基盤を揺るがしている。

 習近平氏から見れば、これらは別々の問題ではない。「中華民族共同体」という物語そのものが揺らいでいるのである。

これは民族法ではなく
文明法だ

 習近平氏の答えは明快だ。中華文明は国家によって定義されなければならない。民族団結法は56民族を管理する行政法ではない。「中華文明とは何か」を国家権力によって固定しようとする文明法なのである。

 習近平政権の標的は少数民族だけではない。「中華民族共同体」という物語に異議を唱えるすべての人が対象となる。中国で勤務する日本人会社員、中国の歴史観に異論を唱えた日本人政治家、東京で中国を取材する日本人記者、いずれも例外ではない。

 なぜ習近平氏はそれを急ぐのか。それは人々が、国家が定義する「中華文明」から離れ始めているからである。

中華文明の歴史的な強みは
「曖昧さ」だった

 中華文明の歴史的な力は、曖昧(あいまい)さの中にあった。東南アジアの華人社会を見れば、そのことがよく分かる。彼らは華人であり、同時にタイ人であり、マレーシア人であり、インドネシア人でもある。この重層的なアイデンティティーは矛盾ではない。むしろ、それこそが華人ネットワークが持つ商業力や文化的な影響力の源泉だった。

 香港が「東洋の真珠」と呼ばれたのも同じ原理である。それは中国的であり、同時に英国的でもあった。どちらか一方ではなく、両方であったからこそ、世界と中国を結ぶ独特の価値を持つことができた。

 中華文明の歴史的な拡張もまた、この柔軟性によって支えられてきた。この「どちらでもある」という曖昧(あいまい)さこそが、中華文明の歴史的な強さだったのである。