文明の柔軟性を失う
習近平の危険な社会実験

 習近平氏の根本的な矛盾は、次の一点に集約される。彼が思い描く中国は文明のスケールを持っている。数千年の歴史、56の民族、世界中に広がる華人コミュニティー。しかし彼が使うツールは、近代的な国民国家の論理である。明確な境界線、統一された物語、法律による強制だ。

 文明は本来、多重的なアイデンティティーを許容する。一方で近代的な国民国家は、明確な単一のアイデンティティーを追求する。習近平氏が現在進めているのは、文明の柔軟性を国民国家の論理によって置き換えようとする試みである。

 14億人、56民族、数千年の文明史、世界中に拡散したディアスポラ・コミュニティー。これほど巨大な文明を、単一の法律と物語によって固定しようとする試みは、極めて異例な試みである。

 そのミスマッチこそが、民族団結法の持つ最も深い危うさなのである。

守ろうとするほど失う
文明の力の源泉

 民族団結法とは、「中華文明とは何か」を法律によって固定しようとする試みである。だが、法律によって固定された文明は、自己更新能力を失った文明でもある。中華文明が歴史的に最も生命力にあふれていた時代は、それが最も開かれていた時代と重なる。

 唐の長安は、ペルシャ人も日本人も共存できる国際都市だった。中華文明が最も輝いた瞬間は、異なる文化やアイデンティティーを最も包容できた瞬間でもあった。

 ここに核心的な逆説がある。

 習近平氏が法律で中華文明を守ろうとすればするほど、中華文明が本来持っていた力の源泉――曖昧(あいまい)さ、多重的なアイデンティティー、包容力――を封じていく可能性がある。

 7月1日以降、中国に拠点を置く日本企業が向き合うのは、新しい法律だけではない。

 過去40年間、日本企業が中国で利益を上げてこられたのは、ある種の暗黙の了解の上に成り立っていたからだ。習近平政権は日本企業に政治的忠誠を求めず、日本企業もまた中国の歴史観や政治体制に深入りしなかった。民族団結法が意味するのは、その暗黙の了解の終わりである。

 日本企業はいま、中国が提示する世界観とどこまで共存できるのかを問われている。