佐久間信盛の永原城は
信長の宿所にも使われた

 永禄11(1568)年頃から、佐久間信盛の城となったと伝わる永原城は、中山道の脇街道の途上にあります。信長が京へ上洛(じょうらく)する際の宿所としても使われたといわれています。天正19(1591)年、徳川家康が秀吉より同城を与えられており、関ヶ原の戦い直後には、こちらに宿泊しています。

 以来、徳川家の将軍専用宿館として大幅に改修され、永原御殿に。家康、秀忠、家光と三代の将軍が利用していました。現在残る遺構はこの徳川時代のもので、信盛の頃の姿がどこまで残っているのかは定かではありません。

永原城(永原御殿)本丸を南東より永原城(永原御殿)本丸を南東より撮影 撮影:今泉慎一(風来堂)
永原城(永原御殿)本丸の南東外周部には、わずかだが石積が見られる永原城(永原御殿)本丸の南東外周部には、わずかだが石積が見られる 撮影:今泉慎一(風来堂)
永原城(永原御殿)本丸の西側には堀が並行して伸びる永原城(永原御殿)本丸の西側には堀が並行して延びる 撮影:今泉慎一(風来堂)

 交通の要衝であり、信長が宿所としても利用していた。安土城の南西側を守る位置にもあたる。そんな城を任されたということは、信盛はやはり、主君・信長から信頼を得ていたのではないでしょうか。であればなおさら、謝罪のタイミングを逸したことが悔やまれます。