「年子批判」の人たちの少なくとも一部は、大谷夫妻を批判しているというよりも、このニュースをきっかけとして、妊娠・出産における女性の負担を軽視する一部の風潮を懸念しているようにも受け取れた。

 SNSではすぐに言葉が過激化するため、言い合いの中で眉をひそめるような、議論にもならない言葉が飛び交ったことは否めない。また、年子出産など妊娠・出産が母体に与えるリスクや負担を主張したいだけであれば、著名人のおめでたいニュースに乗じる必要はないという意見もわかる。

 ただ著名人のニュースが一般に与える影響も、間違いなくある。「ロールモデル」はどのように社会的圧力になるか、という問題である。有名スポーツ選手に子どもが生まれたニュースを見て「君のところも頑張れよ」などと部下に声をかけるおじさん・おばさんは、昭和や平成初期には間違いなく存在していた。

 妊娠・出産による身体的・経済的な負担は個々の事情によって大きく異なる。これは多くの人が認める事実だろう。しかし、よその家庭を見て「あの人たちはできているんだから」といった言葉で、そうではない人を責める人もいる。

 妊娠・出産については、ほんの少し前まで「病気ではないのだから休む必要はない」とか「嫁を甘やかすとろくなことにならない」などと言う人たちがいた。今でももしかしたらどこかにいるかもしれない。

 DVやモラハラは案外身近で起こっていることであり、「年子出産が大変なんて甘えだ。みんなやっていることだ」という女性にかけられる圧は過去に実際にあっただろう。おめでたいニュースに、そういった負担軽視の風潮が紛れ込むことを懸念したのであれば、SNS上で上がった年子批判の声は一定理解できる。

 出産がおめでたいニュースであることと、出産で女性の身体に負担がかかることはどちらも事実である。このふたつは本来、対立しないのだが、話が両極端になりやすく対立しやすいSNSでは、すぐに使われる言葉が過激になり、お互いを叩きのめそうとする暴言やチクチク言葉の応酬になる。そういった言葉が増えるほど、本来共有できたはずの問題意識まで見えなくなってしまう。

 おめでたいニュースが流れているときに、それにかぶせて多産DVの話をしなくても良いだろうというのはその通りである。ただ、人が目の前にしている現実は人それぞれであり、ニュースをどのような経験や立場から受け止めるかもまた、人それぞれだ。

 反論する人たちが、まるで格好の攻撃対象を見つけたかのように強い言葉で罵るのも、それはそれで見ていて気持ちの良いものではなかった。誰かを祝福することと、別の誰かを罵倒することは、本来セットである必要はないだろう。