冤罪事件なんてないほうがいいに決まっているけれど、事件があったからこそ、娘が事務次官になったときの父親の喜びはひとしおだったのではないだろうか。

事務次官への昇進を
断れなかった理由

 村木さんは、事務次官になることを事前に聞いていたという。関係者が「大騒ぎになると思うから」と、発表の少し前に知らせてくれたのだそうだ。喉元まで「無理です。お断りします」と出かけたそうだが、なんとかその言葉を飲み込んだ。その背景には、自分が後輩の女性官僚たちに言い続けてきたある言葉があった。

「後輩たちには、昇進の打診があったら絶対に断るな、受けなさいって言い続けてきたんです(笑)。特に女性の場合は、主観的に能力や経験が足りていないと思って断ってしまう人がいるんです。上の立場になって視点が変われば、おのずと力はついてくるものです。

 客観的に能力も経験も十分だと思われているから打診されているのであって、だから断っちゃいけないと。そう言い続けてきたんです。次官になることを事前に知らされたときには“自分の言葉は自分に返ってくる”ということが本当によく分かりました(笑)」

 官僚時代の村木さんは、おもに障害者雇用や働く女性の地位向上、少子化対策などに力を入れてこられた。代表的なものを挙げると、障害者自立支援法の策定や育児・介護休業法の改正などがある。彼女の功績を聞くと、この半世紀近くの日本社会の変化がよく見て取れる。

セクハラ研究会を立ち上げるも
「セクハラ」の表記はNG

 例えば、1980年代の終わりから90年代初頭にかけて、日本でセクハラという言葉が普及し始める。すでにアメリカでは大きな問題となっており、村木さんはすぐに労働省内にセクハラの研究会を立ち上げた。予算書を提出すると、当時の財務省からこんなふうに叱られたという。

「週刊誌で使われるような言葉を予算書に書くなんて何事だ。『セクハラ』という言葉を使わずに書き直せ」と。結局、セクハラの研究会であるにもかかわらず「セクハラ」という言葉を使わないように書き直したそうだ。