次官時代には、厚労省内への保育施設の設置にも尽力した。
「当時は無認可の保育所を厚労省の膝元につくるというのがタブーだったんです。ただ、それがゆえに困っている人たちがたくさんいたわけです。
ちょうどその頃に、日本で女性の事務次官が生まれたということで、アメリカの労働省に招待される機会がありました。労働省を見学してみると、すごく素敵な保育所があったんです。労働省にちなんで、遊具は『仕事』をテーマにしたつくりになっていました。消防車や工事現場、店員や配達員になりきれる遊具など、子どもたちが遊びながら“働くこと”を自然に学べる空間だったのです。
一般的に海外視察のレポートは職員たちが作成します。ただしそのときばかりはあまりに感銘を受けたので、正式なレポートとは別の個人的な報告書を作成して、菅義偉官房長官(当時)にお渡ししたんです。“あとで正式なものも提出しますから”と。すると官房長官も共感してくださり、財務省にねじ込むことができ、それで厚労省の膝元に保育所をつくることができたんです。女性が事務次官になるのも悪くないと思いましたね」
官民をつなぎながら
ガラスの天井を打ち破る日々
全省庁で2人目の女性の事務次官となった村木さんの存在とその仕事ぶりは、省庁幹部への女性の登用という面に大きな影響を与えたはずだ。
村木さんが次官の頃は「次官会議」という集まりが毎週あったそうだ。参加者は官房長官と官房副長官、全長官、全次官だった。消費者庁では2012年に初めて女性の長官が誕生したので、会議には村木さんを含めて女性が2人参加することになる。
村木さんは15年に厚労省を退官するわけだが、あとになってこんな話を聞いたそうだ。
『女の“変さ値”』(鎌田 實、潮出版社)
「私が退官した直後に、消費者庁長官が欠席の次官会議があったんです。そこに参加した方が“今日は男ばかりでなんだか変だな……”とおっしゃっていたそうなんです。その話を聞いて、ちょっと安心しました。そうした変化を積み重ねていくことが大切なんだなと改めて実感しました」
厚労省を退官したあとの村木さんは、企業の社外取締役、監査役などを務めたり、大学の客員教授として教育に従事したりする。しかし近年は、再び福祉の世界に戻ってきて、全国居住支援法人協議会の立ち上げに関わったり、全国社会福祉協議会の会長などを務めたりしている。
「公務員時代には、役所という枠のなかでしか考えられなかったんですが、いまはその枠が外れて、ある意味では自由の身なんです。民間でこれだけやるし、市民もここが手伝えるから、役所はこれをやってよ、という話もできる。官民というより大きな枠組みでものごとを考えられるようになりました。本当にありがたいことです」
この国から「ガラスの天井」が完全になくなるまで、村木さんには元気に活躍し続けていただきたい。







