1970年代末から1980年代にかけては、従来とは異なる様態で、料理への関心が高まっていた。手の込んだ料理というよりも、簡単でおいしい料理のつくり方が注目されたのである。背景には、「働く女性の増加」という要素があった。よく知られることだが、1975年前後を境に、家族に関わる指標に変化がみられる。

 専業主婦数が極大を迎え、共働き夫婦が増え始める。平柊初婚年齢の上昇と合計特殊出生率の低下が始まる。女性労働に関する指標の例を挙げると、15歳以上人口に占める家事専業者(いわゆる「専業主婦」とイコールではないが参考にはなるだろう)の割合は1975年の36.9%をピークに減り続け、1983年には32%になった(『昭和59年版婦人労働の実情』)。

 他方で、女性の有配偶労働力は増え続けた。とくに、1980年代に入ると、いわゆる「子離れ」した40代前半の主婦が第三次産業におけるパートタイマーとして働き始めるという傾向が顕著になった。

 もっとも、共働き夫婦が増えても、「料理は妻」という役割分業は変わらなかった。つまり、戦後の専業主婦の増加傾向のなかで「主婦=料理」の結びつきが強化され、それが1970年代後半の共働き増加後にも残存し、女性たちの重荷になっていた。「一汁三菜」を揃える献立のヴァリエーションは、新たな家族を持った女性たちの「存在証明」だったが、それは同時に「悩みの種」でもあったのである。

女性の生き方の変化が
時短料理の普及を後押しした

 それだけではない。昭和50年代は、主婦の心身の不調が様ざまに語られた時代でもあった。不定愁訴(検査では異常がみつからない心身の不調)、思春期ならぬ「思秋期」、台所拒否症候群やキッチンドランカーなどである。

 高度成長による「安定」と、ウーマン・リブによる「解放」は、女性たちが自らの生き方を問い直す機運を高めた。問い直しのなかで生じた「自分はこのままでよいのだろうか」という疑問は、心身の不調として表れることがあり、メディアもそれに着目して女性の変化を書き立てた。