平野レミさん Photo:SANKEI
「料理は家族のために手間をかけて作るもの」。そんな常識とは少し異なる発想で支持されてきたのが、平野レミだ。残り物や缶詰を組み合わせる自由な料理は、どのように生まれたのか。その背景には、戦後の平野家で育まれた独特の家庭環境があった。※本稿は、歴史学研究者の山本昭宏『彼女たちの「戦後」』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
レミの歓待の思想には
日米ハーフの父の影響があった
平野レミは1947年に東京・根津に生まれた。父親は、詩人で仏文学者の平野威馬雄。大正末期に18歳で『モーパッサン詩集』を翻訳し、文壇で注目された人物である。威馬雄の父は、ヘンリー・パイク・ブイというアメリカ人の美術愛好家だった。
威馬雄は幼少期のレミに深い影響を与えた。彼は自身が差別に苦しんだ経験から、国籍の異なる親を持つ「混血児」の子どもたちを支援するため、1953年に団体を結成して活動していた。なお、現在ではハーフやミックスという言葉を使うが、以下では平野家の言葉として括弧をつけて「混血児」とする。
「混血児」の子どもが増えた背景には進駐軍の存在があり、威馬雄らの活動は極めて戦後的な活動だったと言える。引き取り手のない子どもを自宅に住まわせ、ときには法律上の父親がいない子どもを自らの戸籍に入れることさえあった。
平野レミの「歓待の思想」の源流に威馬雄がいたのは疑えないが、それはたんに彼が「混血児」の支援活動に打ち込んだからという理由だけではない。平野家は威馬雄の活動のために、いつも複数の子どもたちがいるという環境だった。そこからレミの料理に関する考え方が形成された。







