黒柳徹子さん黒柳徹子さん Photo:SANKEI

黒柳徹子は若い頃、NHKの連続テレビ小説で生活に追われる家政婦役を演じた。その経験は、人が見た目で扱いを変える現実と向き合うきっかけになったという。後に『窓ぎわのトットちゃん』へと結実する彼女の感受性は、どこから生まれたのか。戦時中の体験をたどりながら、その原点に迫る。※本稿は、歴史学研究者の山本昭宏『彼女たちの「戦後」』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。

NHKのテレビドラマに出演し
黒柳徹子は頭角をあらわした

 テレビというメディアで、黎明期の1950年代前半から現在に至るまで、途切れることなく活躍し続けているのが、黒柳徹子(1933年-)である。

 黒柳徹子の活動を振り返る際に、NHKの存在は外せない。NHKは1953年、テレビタレントを養成するために東京放送劇団の劇団員を募集した。当時、東洋音楽専門学校(現在は東京音楽大学)の学生だった黒柳は、これに応募する。約6000人の応募者のうち、合格者数はわずか17人(文献によってズレがある)。そのうちのひとりが黒柳だった。1年間の研修を経て、1954年4月に正式採用となり、テレビ・ラジオに出演し始める。

 黒柳は、プロとして活動を始めた直後の1954年4月、飯沢匡が脚本を担当した子ども向けのラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(トン坊の声を担当)で頭角をあらわし、60年代前半には『若い季節』(ドラマ)や『夢であいましょう』(バラエティ)などのテレビ番組などに活躍の場を広げ、テレビタレントとして認知されるようになった。

永六輔による意外な指摘
「戦後体験の共感が無い」

 当時の黒柳徹子については、永六輔による興味深い評価があるので紹介しておこう。