主体的決断による成長、より良い生を支える連帯、そして貧困からの離陸――ここには戦後民主主義的な価値観が詰まっているのである。
戦後民主主義的なのは主人公だけではない。トランジスタ工場の休憩時にコーラスを楽しむ女性労働者たち、北朝鮮へ帰る同級生、やや説教臭いが勤務時間外である夜にジュンをたずねてくる担任教師――ジュンを支える登場人物たちの多くは、学校教育の教材にそのまま使えそうなほどの誠実さを持っている。
この映画が爽やかな印象を残すのは、主人公のジュンと吉永小百合が観客のなかでピッタリと重なるからだ。戦後、吉永家の家計が苦しかったのはすでに述べた通りだが、仕事(芸能活動)を続けながら、学びの意欲を手放さなかった点でも、ふたりは重なる。
吉永は1965年1月に早稲田大学の入学資格認定試験を受け、合格している。同年2月には第二文学部史学科(西洋史学専修)に出願し、無事合格した。二部の授業は6時に始まるため、撮影所から大学へと向かう慌ただしい日々が始まり、1969年に卒業するまで続くことになる。
俳優が演じた役柄と俳優自身を二重写しにして受容するという態度は決して珍しいものではないが、吉永の場合、重なっている部分が他の俳優に比べても大きかったのだろう。
60年代の代表作の役柄が
支持された理由
60年代の彼女の代表作を振り返れば、『青い山脈』(1963年)や『あゝひめゆりの塔』(1968年)など、戦後民主主義の時代を代表する名作のリメイク作に出演している。彼女は、スクリーンのなかで戦後の理想主義を歩き直していたのである。
60年代は、戦後民主主義的な価値観が左右から挟撃されていた時期にあたる。新左翼運動や全共闘運動からすれば、戦後民主主義は沖縄を捨て石にして日米安保体制を容認する戦後体制を築いた「元凶」であり、保守主義者や伝統主義者からすれば、近代国家としての遺産(国家主権としての交戦権や、家族主義的道徳観など)を投げ捨てた打破すべき思想だった。







