吉永小百合さん Photo:JIJI
吉永小百合ほど不思議なスターはいないかもしれない。誰もが名前を知っていて、多くの人が好意を抱いている。それなのに、「好きな映画は?」と聞かれると答えに詰まる人も少なくない。なぜ人々は彼女に惹かれ続けるのか。※本稿は、歴史学研究者の山本昭宏『彼女たちの「戦後」』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
吉永小百合が演じる役を
固定したのは戦後日本の人びと
関川夏央による日活映画論『昭和が明るかった頃』(文藝春秋、2002年)は、次のような言葉から始まる。「長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである」。
「つまらない」かどうかはいったん措くとしても、このような問いが生じること自体が、吉永小百合という存在の「不思議」を示しているように思われる。出演映画は120本を超えるのだから、彼女が文字通りの「スター」であることは疑い得ない。同時に、彼女の演じる役柄が固定的だったのも事実である。
吉永が体現したのは、高度経済成長期の前半の時代精神であり、「民主的で向上心にあふれた戦後」だったとも関川は述べている。確かに、吉永が演じた役柄は、民主的で向上心にあふれる青春のイメージに収まるものが多い。戦後に対する評価と吉永に対する評価には、どこか通じる部分があるのだろう。
では、戦後日本の人びとは吉永小百合に何を求めたのだろうか。そして、彼女自身は何を考えて戦後を生きたのだろうか。自伝『夢一途』(主婦と生活社、1988年)から、吉永小百合の来歴を辿りつつ、この問題を考えてみたい。







